ドロミテ旅②(ボルツァーノ周辺)

Bolzanoへ向かう

3日目は早起きしてミラノ中央駅へ向かう。ベローナ経由でボルツァーノに行くのだ。

列車は2等が2種類と1等、premiumの4種類あり、安い方から売れていく。朝は乗り過ごすリスクがあったのであらかじめ前日に切符を買うのを躊躇した。 当日朝は1等も売り切れで、やむなく80EURのプレミア車両に乗る。大型のマッサージチェアみたいな座り心地。足の短い日本人にはちょっと落ち着かないかも。

<TREITALIANO車体と車内>

ボルツァーノ迄の車窓では、穏やかな緑の草地が広がり、その向こうに灰色のいかつい山肌が見えた。この風景はカナダのカルガリー〜バンフと似ている。

Sopraボルツァーノで標高2000mへ

ボルツァーノはドロミテ観光の玄関口でありかなり賑やか。何泊もするなら正直な所もう少しこじんまりした街が好みだ。Tourist Information を探して宿を頼む。ただbooking は出来ないので10分歩いて自分でヤレとつれない。

この10分が文字通り怪しかった。車ばかり乗ってる人は何でも「10分で行ける」と言うけど、迷った分も込みで30分は歩いた。

この街に日本食があったのもビックリだがその「一番」から更に5分くらい緩い坂を登り、上空でRenonロープウェイと交差する辺りにホテルSchwarze Katzがあった。英語は殆ど通じない。ただ、13時過ぎでランチ客が何組かいたので、私も食べた。牛肉の薄切りはサッパリ系、ポテトはかなり美味しい。

<この日の宿 SCHWARTE KATZとそのランチ>

で、Renon ロープウェイに乗って上を軽く散策しようと思ったのだが、SopraBolzanoから先に高原鉄道、バス、リフトと続いていたので、人の流れのままに標高2000mのSchwarteseespitzeに辿り着いた。

SopraBolzanoはイタリア語で、ドイツ語のOberBodenと同義。Oberは英語のOverらしい。スイスにOberBernerland? って地域名があるけど、SopraBolzanoはボルツァーノ郊外とかボルツァーノの上の方って意味だろう。Sopraはソプラノと同義じゃないか。

<<<<Schwarteseespitzeの花>>>>

本当は往復2時間で2200m地点まで開放感のあるアルプを歩きたかったけど、既に夕方。リフトやバスの最終時刻が迫っておりゴール迄あと10〜15分くらい足らなかった。ここで撤収。

<<Schwarteseespitzeにて>>

ボルツァーノに戻ると遠くにドロミテの山々が夕陽に輝いていた。この日も腹パンパンで、偶にみぞおち辺りが固まる感じがしてしっくり来ない。なので、夕食はパスタ・ポモドーロが限界だった。

<<Bolzanoに戻って>>

辛い腹痛で唸る

北イタリアのボルツアーノに英語表記は少ない。Tourist Informationを除くとあまり英語は通じない。バス停も駅も地名もイタリア語とドイツ語が併記されていて、むしろドイツ語がmajorだ。

<市中心部の標識>

ミラノ滞在時から膨満感やみぞおち辺りが硬くて気になると書いたけど、ボルツアーノ泊の初日の夜に激痛に襲われた。

ちょっと上に写真を載せたパスタ・ポモドーロを腹に押し込んで、アルコール消毒用のビールも呑んだ。で、それから2~3時間して、ホテルに戻るとみぞおちがカチカチに硬くなり、腫れぼったく、徐々に腹痛が激しくなった。

トイレに籠っても痛いだけで上からも下からも出る訳でなく、一向にラクにならない。むしろ徐々に動作が緩慢になってきて。額からポタポタと脂汗が垂れてくる。

病院に行くべきか悩んだが、この街で英語は通じない。先ず宿のご夫婦にこの一大事を伝えようにもどうやって伝えればいいのか? そこに大きな溝があった。そして、私がロクに英語を喋れず勢いで海外旅行しているだけなので、医師に症状を伝える事はできない。ただ、唸っているだけだろう。ビオフェルミンとか整腸剤なんてなく、ベッドの上でもがいた。

もう、直ぐに日本に戻りたい気分だった。およそ旅行どころではない。どうやって帰国のfreightを手配して、どうやって大都市ミラノに戻って、飛行機が出発するまでどこでどう凌げばいいのか、グルグルと妄想してしまった。

原因もあれこれ考えた。一番ありそうなのは、食中毒。疑わしきはこの2つ。

<ミラノの宿にあったwelcome fruits>  <当日昼のランチ>

ただ、ミラノで既に違和感があったので果物が怪しいのか。ミラノ2泊の朝食用にこのfruitを全て食べた。ザックリ、バナナ2本、オレンジ4個、りんご4個、Kiwi4個のうち腐っていない2個。しかもりんごは2つに割って皮もバリバリ食べた。Kiwi以外は大丈夫だと思ったのだけど……、考えれば自信はなくなる。

他に、Deuterのザックの腰ベルトをみぞおち辺りでtightに締めていたのでそれが負担を掛けたのかも。本当は下腹部でベルトを締めるのだけど、肩の荷重を減らすにはみぞおち辺りがラクなのでつい横着をして上で締めるのだ。

結局、エビのように丸まったまま、エアコンの無い部屋で唸りながら眠ってしまった。

で、翌日になっても痛い。流石にもう脂汗は出なくなったけどヨボヨボ状態だった。ただ、暑苦しい部屋にはいられないし、腰が曲がったお爺さん並みの歩みで街に出る。少し歩いてはベンチに座り、悲しいなりでBolzanoの街を彷徨った。

その翌日、Alpe di Siusiを歩いたのだけど、実はその日もヨボヨボだった。時々腹痛が襲ってきたり、みぞおち辺りが硬いと感じたり、なんともやるせない旅になった。

シウジ高原

シウジ高原は4日間も歩き回ったので、あまりにも書く事が多い。
なので、この記事ではパスして次回にアップ予定。

イタリアらしいラタトーユ

シウジ高原からBolzanoの街に降りると流石に暑い。標高1800mからおそらく約260mに降りたので体感温度は全然違う。この日は市内の庭付きのホテルで夕食を摂った。CROCSで入店するのはちょっと気が引けたけど「OK」とwelcomeしてくれたので、遠慮しないでそのまま入る。

そこで先ず注文したのが、以前「ドロミテのラタトゥイユに刺激されて」記事で紹介したフランス料理のラタトゥーユだった。トマトソースで煮込んでいない野菜の鮮やかな色そのままの一品だった。特にパプリカの黄色と赤が綺麗。

<<ラタトーユ>>

※参考

https://ameblo.jp/cx0293/entry-12501574630.html

他に肉料理を頼んだが、こっちはまあまあ。

<店内>  <ちょっと厚めの肉>

西ドロミテ1日ツアー

翌日は英語ガイド付きのドロミテ1日バスツアーだった。この25EURは安かったと思う。週1回と言わずもっと頻繁に催行して欲しい。日本人3名、日光や富士山を訪れた事がある韓国人夫婦、ウクライナ人2名、スペイン語のご家族、ほか白人数組で15~20名乗りのバスが満杯になった。私の隣にはマルセイユ在住のイタリア人女性。40〜50代の英語教師とか。いきなりfriendlyに握手してきたのでビックリ。地中海の向こうのアルジェリアについて訊いてみたものの、やっぱり「大丈夫だろう」であって彼の地に治安はハッキリ判らなかった。太ったウクライナ人はロシア語の「スパイシーバー」の一言で笑顔になってくれた。

最初にドロミテ山塊の中腹にあるTiresで教会を見てから、カレッツァ湖へ。ここは30分くらいで1周できるくらいの大きさの湖。そんなに標高が高くないので周囲にはヤナギランが目立った。

<カレッツァ湖>  <ヤナギラン>

次にポルドイ峠(Passo Pordoi:標高2200m)まで、いい感じで緑の中をバスが登っていく。まあこの標高になると曇っていた事もありちょっと肌寒い。ここでロープウェイに乗り2900m地点(Sass Pordoi)へ上がる。更に寒い。この旅では基本的に半袖のみ、ペラペラの長袖シャツでは腕が冷たかったので、その上にポンチョを着て、モノクロの山頂駅付近を歩く。そこそこ近い所に雪も残っていた。

<ポルドイ山頂にて>  <山頂直下を登る人達>

下りのロープウェイで、砂交じりの岩場をジグザグに登る蟻んこみたいに小さな登山者の列を見ると、今度ここに来る時には自力で登りたいと思った。ポルドイ峠にはホテルも何軒かあったのでバスで来られそう。ただ、こういう急勾配の岩場を下るのは危険。遮るものが無いので、足を滑らせたらそれで終わりだ。

そして、バスはセラ峠(Passo Sella)に到着した。ここは、その前日に時間切れで辿り着けなかった所。この手前のトレイル40分くらいの所にSANDRO小屋があったのだ。まさかこんな風にバスで来ようとは想定していなかった。ドロミテではお土産用のTシャツがあまり売っていなかったので、ここで自分用に買い求める。

<セラ峠>

※参考: SANDRO小屋

https://ameblo.jp/cx0293/entry-12504657984.html

オルティセイの街はカワイイ感じ。この街からもシウジ高原に上がる事ができる。そこでガイドさんにattendしてもらうのはパスして、ブラブラ彷徨う。と言ってもジェラート食べて、木をふんだんに使ったエスカレータを昇降したくらい。これでツアーは終わり。英語ガイドは微妙だったけど、ドイツ語を喋る人にも十分親切な案内だったみたい。

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