ドロミテ旅⑤(東ドロミテ周遊)
ボルツアーノから鉄道で2時間
夕方、シウジ高原から一旦Bolzanoに戻り、すぐ電車に乗りFortessa経由でドッピアーコDobbiacoに向かう。Fortessaからそのまま北上すれば、あと少しでオーストリアのInnsbruckに着くのだけど、もう少しドロミテを歩いてみたかったのだ。
東ドロミテの拠点となるのはコルチナかDobbiacoのいずれか。鉄道で直接行ける街をchoiceしたけど、そこに到着したのが20:00過ぎ。まだこの時間でも充分明るいので駅傍から順にホテルを探す。1軒目が111EUR、2軒目が満室、3軒目がバルコニー付きで66EURだったので、駅から5分のNockerホテルに投宿した。
ここで3泊した。初日の夕食はこんな感じ。ザワークラウトは苦手だけど、北イタリアはとにかくポテトが美味しいのがありがたい。
<<<7/11夕食>>>
トレチーメ
ドロミテの最高峰で3つの岩が屹立しているのがトレチーメ(Tre Cime)だ。英語ではThree Peaksと言うらしいがそれでは余にシンプル過ぎる。観光パンフレットでもよく写真が載っているのを見るんじゃないか。私もこの写真を見てドロミテ行きを決めたのだ。
<トレチーメ>

Bolzanoやシウジ高原はドロミテと言っても西エリア。見どころは西エリアの方が多いんじゃんないかと思うけど、トレチーメは対する東エリアに在る。ドッピアーコの街からバスに乗る。みんなバスターミナルがら乗車していて、私が駅前から乗り込むとちょっと雰囲気が違う。白人のみなさんはフリースとかもうちょっと厚い服とか雪山にでも入っていく恰好をしている。こちらは街仕様のままTシャツだった。途中で道路脇にドッビアーコ湖を経て、ギザギザなドロミテの山並みを360度見まわしながら標高2300mくらいまでバスで上がっていく。
山小屋の前が終点。いきなり寒くて震え上がる。直ぐに小屋に逃げ込んで、フリースでも買おうかと思ったけど、売っていない。失敗したかと思ったが、Tシャツを重ね着してポンチョを羽織って凌ぐしかなかった。歩き出せばなんとかなるでしょ。
岩壁が立ちはだかる直下から反時計回りに歩き始める。周囲を見ればどこまでもドロミテ山塊が続き、眼下を見下ろせば遠くにエメラルドグリーンの湖らしきものが輝いていた。花は黄色いのが多い。緑の草地よりも、砂礫地で栄養分は少ないんじゃないか。日本で言うとコマクサが咲いているような場所だ。
<<<トレチーメの黄色い花>>>
トレチーメそのものには登れないけど、絶壁に一番近づいた時の写真がコレ。確か標高2450mくらいだった。
<この日の最高地点> <<<その他の花>>>
そこから絶壁のすぐ横の砂地をトラバースして回り込む事もできたけど、他のtouristと同様に大回りで一周する。あまり標高差の無い処で、4時間歩いたけど2200~2450mくらいだったんじゃないか。
<トレチーメを大回り> <少しずつ角度が変わっていく>
曇りから途中で晴れ間が覗いた。
でも、山の天気は確かに変わりやすい。丁度半周くらいした所で雨がポツポツ降ってきた。暫くすると雷とドシャ降りの雨。途中に山小屋が2ケ所あったけど、そこを過ぎれば逃げ込む所はない。大回りしていたので大凡180度回ったところで3時間経過。冷たい雨で焦りつつ、最後の30分でズブ濡れになった。
運転手さんが眠っていて乗合バスのドアは開かないし、体は冷えてくる。他の登山者と譲り合って雨を凌いでいた。そのご夫婦とは翌日もドッビアーコの街中でバッタリ再会して、お互いどちらともなく笑ってしまった。
この日の夕食はこんな感じ。
<<<7/12夕食>>>
焦ったのがfresh fruits。皮を剥いていないリンゴとKIWIとラフランス。これをどうやって食べれば良いの? ナイフとフォークで器用に食べるのは無理。ウエイターと会話するのだが意図が通じない。合点してくれたのだけど、持ってきてくれたのは小さなスプーンだけ。それで食べられるのはKIWIくらいだよ。
そうこうしていると、様子を見かねた他のお客さんが説明してくれる。長身の30代白人だった。
「君はヨーロッパ初めてなの?」
「いえ」
リンゴを半分に切って口に咥える仕草をしながら「こんな感じだよ」と笑う。そのドイツ人は6人グループで食べていたけど、他の5人もこっちを見て笑っている。
果物ナイフでも貸してくれればスッと剥けるのに……。特にラフランスは凹んだカーブがあるので大変。柄の細いナイフでは上手く力が入らないので手こずったけど、まあこれもいい経験。恥ずかしかったけど、食後にお礼も兼ねて少し彼らと会話した。彼らは30~60代じゃないか、自転車でドロミテを回っているとの事だった。
ドッビアーコは小さな街
北イタリアの田舎町を電車で東に進んでいく。ポーッとぶどう畑が続く車窓を眺めていると、車内アナウンスで「フェルマータ」って音が何度も耳に入ってくる。JRで言えばきっと「次の停車駅はxxです」に当たる言葉で、きっと「次は」とか「停車」って意味なんだろうと想像しながら聞いていた。素人ながら数学に興味があるので、もしかしてフェルマーの最終定理のフェルマーはイタリア人だったのかな、そんな疑問が頭を掠めた。
フェルマータは音楽の「停止」記号であり、ネット検索すると他にも駅とか停留所って訳語が出てくる。因みに数学者フェルマーはフランス人だった、これは失礼。
Bolzanoはゆっくりするには街の規模がちょっとデカかった。それに対して、ドッビアーコDobbiacoは「地球の歩き方」にも地図がなくてimageが湧かなかったけど、本当に小さくてアタリだった。鉄道から垂直方向に延びる通りが1本とその突き当たりに教会とちょっとした商店街があるくらいでこじんまりしていた。
<イタリアFortessaとオーストリアLienzを結ぶ鉄道>
<Dobbiaco市内>
NZは元々人の数より羊の数が多いくらいで空港があるような街でもあまりに小さくて驚くけど、街中に滞在するにはそのくらいの方がラク。QueenstownでもNelsonでもそうだった。Dobbiacoはそれをもっとcompactにしたそのイタリア版って感じなのだ。NZ北島のWhitianga(フィティアンガ:NZ編のブログを再開したらいずれ書く予定)くらいの街だった。
その通りのすぐ裏手にはずっと緑が広がっていて、白いシシウドが咲いている。
<DobbiacoのMain-Streetのすぐ裏>
<踏切の傍で>
ホテルのバルコニーから踏切が閉まっているのが見えた。でも、いつまでも電車は来ない。不思議に思っていたけど、踏切の直ぐ東側にDobbiaco駅のホームがあり、東のオーストリア側から電車が入線してきたtimingで遮断機が下りている。乗降した後で電車が踏切を渡っていくのに、あまりにも早く締まるのだと判った。まあ田舎町だから3分くらい踏切がcloseしていても車の列は大して長くならないで済んでいるのが、のどかでいい。
<Nockerホテルとそこの朝食>
Main-streetを歩いていくとTourist-Informationがあった。スタッフが3名。鉄道はずっと乳白色の川沿いに走っていたし、どこかリバーカヤックができる所がないか訊いてみた。他のスタッフに訊いてくれ「この街にはないヨ。でも電車で30分くらい戻ったブルーニコBrunikoの業者ならココ」とパンフレットをくれる。良かった。山旅が続いてきたし、そろそろ水が恋しくなってきた所だった。
でも、対応してくれたスタッフはどう見ても小学生の女の子だった。名札に「Asia」と書いてある。アジアってあまりに広い名前だと思って聞いてみると、ドイツ語読みで「エイジア」って読むんだと教えてくれた。ハイジの親戚か。小さな街でもtouristはたくさん訪れるし、子供のうちからボランティア経験をさせているのだろうか。
リエンツァ川の激流カヤック
前日Tourist Informationで聞いた話を頼りにして電車で30分ほどBolzano方面(西側)に戻りBrunico駅で下車する。駅前は閑散としており10分くらい歩くと繁華街があって、Tourist Informationでカヤックのパンフレットを見せて訊いてみる。ドイツ語でも英語でも電話で会話できないから代わりに予約して、って頼むけど、ヨーロッパは自己責任の塊なのか、ここでもrejectされた。ただ、川沿いに10分くらい、プールの傍だと聞いたので歩いてみる。
15分ほど歩くと、プールの受付とその隣にカヤック屋さんの看板。20才くらいのお姉さんが出てきて「カヤックできるよ。いつにする?」とスンナリ話が進んだ。で、その日の14時startに決まった。カヤックは内外の川や海でやっているので大丈夫でしょ、と軽く話して時間を潰す事に。
<Brunicoのカヤック屋さん看板> <墓地>
先ずTourist Informationに戻ってお姉さん方にお礼を言った。早めに昼を食べて、街をブラつく。歩いてみると、Dobbiacoよりも一回り大きな街だった。でも建物はmaxでも4階建てくらいで落ち着いた街。小高い丘に城があるみたいだったが、ランチビールを呑んだ後であんまり動きたくなかった。北イタリアではFORSTビールが目立った。
<ラザニア> <ランチビールのコースター>
美術館かと思って門をくぐると墓地だった。地べたに余裕をもって建てられたお墓もあれば、コインロッカーみたいに壁にDecorationされたtypeもあった。どちらも日本のそれと比べて華やか。お供えの花も赤とか彩やかな青とかあり。亡くなった方の写真を墓石に貼り付けてあるのもチラホラ。かつて南イタリア・アルベロベッロで迷い込んだ墓地と同じ感じだ。
いよいよ14時に集合。ガタイの良い男が4名くらい待っていた。いずれもそこの会社のガイドさん達でみんな陽気。オーナーと思しき人は札幌でラーメンや寿司を食べたと笑っている。他に、ラフティング・ガイドとカヤック・ガイドとドライバーさん。
カヤックなのにと思いつつ、スキューバスーツとゴム靴とヘルメットを渡されて着替える。かなりの重装備だ。靴のサイズをcmで伝えたら「判らないヨ」と言われて固まる。ちょうどCROCSを履いていたので、その裏面のサイズを見せると「ああ」と言ってゴム靴をchoiceしてくれた。でも、カヤックでスキューバスーツに着替える意味がこの時点では判っていなかった。スキューバスーツってPNGで体験divingした時以来、久々だ。
お客さんは全部で10人くらい。8人くらいがRaftingで、ローマ在住の青年と私だけがカヤックだった。川べりでバルーンタイプのカヤックを膨らませる。いつもは硬いプラスチック製のが殆どで、シーカヤックでは偶に細長いスチール製のも使う。
<<漕ぎ出す前に。カヤックで一緒に回ったロマーナとRaftingチーム>>
リエンツァ川に限らず、Bolzanoなどチロル地方はやや緑がかった清流が勢いよく流れている。その川を見ながら、鉄道もbookバスも谷合いの道を縫うように走っていた。まさかここで本当にカヤックできるとは想像していなかったのでかなり嬉しい。
最初だけは穏やかな流れだった。そこでチン(沈没)の練習をした。本来ならカヤックもturn-overするだろうけど、練習なのでカヤックは表面のままで、自分が川にドボン。そこからカヤックの反対側を掴んでとにかくカヤックに這い上がってみる。バルーンタイプなのでパンパンに空気が詰まっていて私の体を弾いてくるので、滑る。でもこの練習は大事。前にも仁淀川(高知県)でリバーカヤックするのにスプレースカートを引っ張るチンの練習をしておいたら、その日に瀬で転覆した。焦らずに済むのは練習のお蔭だ。
<激流カヤックでenjoy!>
私はこれまでに20回以上はカヤック漕いでいるし、NZの荒波も難なく凌いできたつもりだった。でも、このリエンツ川はヒドイ荒波。上下にうねりながら川下りしていくのはかなりriskyだった。ヒドイ所は1mくらい体が持ち上がる。ガイド氏が「最後の難所では頭から水を被るかも」と笑っていたけど、途中からバシバシ水を浴びて思いっきり濡れた。この調子だと確かにスキューバスーツとゴム靴はmust。
こんな状態なので、いつもならrelaxした笑顔でのんびり漕いでいるのに、この日は真剣そのもの。顔が笑っていない。瀬とか言うレベルじゃないし、川の中にボコボコ岩が隠れているから水が波打っている。入水前に「もし岩にぶつかりそうになったら重心を反対側に掛けろ」って指導があった。えっ? と思ったけど、瞬間的に岩の方に傾いたら確かにチンするな、と体感的に思った。
dead spot(流れが静止して葉っぱなど浮遊物が溜まっている所)のすぐ外側は流れが速く上手くstopできないで焦っていると、ガイド氏のkayakにフックしてもらってホッと一息。dead spotから再び入水する時に流れの方向の逆45°の角度がいい、なんて初めて聞いたなあ。まあ、とにかく無事に生還!
ガイドはディエゴ氏で28才の南米チリ人。2人で肩を組んでアップで写真を撮ったけどそれは割愛。7月のチリは寒いので北半球に出稼ぎに来ているとか。彼が上手くleadしてくれながら、Raftingボート1艇とカヤック3艇が前になり後ろになりつつ川下りしていく。川は流れの速い箇所、澱んでいる箇所を見分けるとspeedyに進むんじゃないか。と言いつつ、それが読めないのでガイド氏のようにスムーズに進まない。あと、左右の腕のバランスが悪いのかどうしても左右いずれかに舳先がブレてしまう。それで余計な力が必要になるので消耗も早い。
カヤック中の写真はディエゴ氏がヘルメットの上に据え付けたデジカメで撮ってくれたもの。それをiPadで見せてもらった。「これメールで送って」と頼むとtipが必要だと言う。うん? まあ地球の裏側から出稼ぎに来ているんだし、それはいいでしょと大らかに対処。そのお蔭でこのDynamicなリバーカヤックの写真をgetできたのだった。
<夕食前に>
BrunicoからDobbiacoへの電車は30分に1本。激流カヤックの興奮を冷ますべく、チーズトーストを頼んで夕食前に軽くグラスビールで乾杯した。既にこの日2杯目って事だ。
北イタリア最終日はブライエス湖
この日はアラカルトでなく定食styleにした。というのも、私は豚肉派なので隣りのテーブルのお客さんが食べているのを見て、同じものを頼んだ。この内容で16EURは安い。
<<<7/13夕食>>>
偶には白ワインを頼む。英語メニューは無いしWhite Wineでも通じない。Bianco Vinoなんて忘れていたし、そもそも北イタリアはドイツ語しか喋れない人が多いのでWeiss Weinって言えなきゃダメって事。「Weiss」って字面を見てエーデルワイスがドイツ語だったのかと、ここで思い知る。
※Wikipediaによると、この街えはドイツ語speakerが84%との事。
朝は、たいてい5つの切れ込みが入った星型パンが多い。これだけtableに置かれていて、後は自由にcakeやハムやチーム、yogultをブッフェ形式で取っていく。
<朝食> <ランチはいつもケーキ>
何でも現地調達する旅なので、昨日カメラ屋さんにお願いしていたデジカメのバッテリーを受取りに行く。充電してもらうのに5EUR掛かった。シウジ高原で600枚以上は撮っていたので予備のバッテリーすら不足気味だったのだ。
で、北イタリア最終日はブライエス湖へ。「地球の歩き方」によると神秘的なのでドッビアーコ湖よりオススメらしく、バスで向かった。このルートも先日Tourist Informationで小学生に教えてもらったもの。バスの車窓からはピンクのヤナギランが目立った。
※ヤナギランの写真は次の記事の中ほどを参照
湖に着くと観光バスと自家用車が裕に100台以上は駐車していた。Touristも沢山いたので、神秘的って表現は当たらない。ただ、2000~3000mの山々に連なる山域にあり、湖面の透明感は高い。細長いブライエス湖をここでも反時計回りに歩く。1.5時間くらいだった。
<<ブライエス湖>> <<ウツボグサなど>>
この日のランチもケーキで済ませた。これで北イタリア・ドロミテの旅は終了。当初6~7泊くらいを考えていたけどドロミテの広さにびっくりしてなんと10泊してしまった。これでも全然足らなかった。
Dobbiacoの宿は一泊66EURだと思ったのに、チェックアウトでフロントの大女将は一泊70×3日=210EURで請求してきた。「えっ違うよ」と言うと66EURに戻ったけど、なんかアバウトなお国柄だ。
Dobbiaco駅から鉄道をそのまま東に進み、降り立ったのはLienz駅だった。オーストリアに入国したのだ。(まだ続く)
【2022.10.6追記】15章にフェルマータとフェルマーについての文章を追加した。