ドロミテ旅⑦(初めてのウィーン)

ウィーン郊外のサンクト・ペルテン

その日は、Bad GasteinからSalzburgを経由してSt Poultenの駅前ホテルに投宿した。checkしたのは21時頃だった。Receptionは捌けた感じの女性で最初は一泊89EURと言ったので支払おうとしたら「85EURで大丈夫」とマケてくれた。85EURでもまあ高いけど、設備は良かった。背もたれが前後に動く椅子は機能的だったし、天井に布で覆いを掛けたライトは初めて見たけどオシャレだった。

<<St Poultenのホテル>>

夕食の茶色いスープ状のものはオーストリア料理goulash。牛肉のシチューだった。「地球の歩き方」にグラーシュgulyasがあったけど写真移りは似ていたけど、味は微妙。ここでもポテトが沢山。2つの写真に載っているのを足した数だけジャガイモを食べている。私はポテト好きなのでokだけど、かなりのボリュームだ。イタリアもスイスもこの近辺の付合せはジャガイモだらけなのだ。

<<夕食>>

翌朝はSt Poeltenの駅周辺を散策した。まあcompactな街で、中心部から徒歩10~15分で比較的大きな川が流れていた。なので、あまり窮屈な街ではない。中心部にはドーモもあった。

<<St Poelten市内>>

バッハウ渓谷の川下り

メルクMelkに行きたかったのは修道院目当てではない。建造物を見るのはどちらかと言うと苦手になってきた。ずっとヤマ旅が続いてきたし、世界遺産のバッハウ渓谷を川下りしようと思ったからだ。この日も暑くなった。Melk駅からフェリー乗り場まで10分くらいで着く。その手前に修道院があるので周囲にレストランや土産物屋も並んでいる。これがこの日のランチ。痛風の不安もあって珍しくランチビールを控えた。

<アペロール(イタリア産リキュール)>  ※苦い!
<クレープ>

フェリーは1日1本しかないと思っていたら2社で計3便だった。確かに「地球の歩き方」と合っていたけど、現地には会社ごとのパンフレットしかないし、St Poeltenで訊いても「隣町の事は判らない」と言うし紛らわしい。フェリーのチケット売り場も2社で別々。片方の会社に「あの会社のはどこ?」と訊いても「知らない」って答えるのはちょっとどうかと思う。

MelkからKremsクレムスまで1.5時間の船旅。ただ、先日リエンツァ川の激流でカヤックしたし、それと比べるとあまりにも単調だった。尚、この旅で初めて日本人の団体客に出会った。

<船> <<<バッハウ渓谷クルーズ>>>

Kremsの船着き場から鉄道駅まで、道に迷いながら右往左往した。大学の構内を歩いていたら、カーペットのように見えるタイル画を発見した。また少し歩いて城門を潜ると、そこから先は車は進入禁止になっている。この構造はDobbiacoやBrunico、Lienz、Melkと同じで、安心して街歩きできる。どこも石畳が敷かれていて落ち着くし、きっと中世の昔からこのままなんじゃないか。商店街がずっと駅まで続いていた。駅前のcaféではクリムトの絵が壁紙になっていた。

<Kremsの大学のタイル画> <Kremsの城門> <Kremsのcaféの内装>

電車で音楽の都ウィーンへ

その日はクレムスKremsから電車で1時間くらいで初めてウィーンWienに入った。ただ、ウィーンはホテル代が高いと思い、St Poeltenの宿を延長しておいたのだ。St Poelten-ウイーン間も急行列車で1時間くらいなので、移動が手間って程の事はない。

この日は夕方にフランツ・ヨーゼフ駅に降り立った。ヤケに薄暗いホームだったが、構内を抜けると確かに都会だった。Kremsからウィーンの直前までずっと草原が続いていたので不安になったけど、本物のウィーン。路面電車に乗ったものの、切符を持っていない。近くに売り場はなかったし、車掌さんもいなかった。丁度日本人の老夫婦がいたので聞いてみると、自分達も添乗員さんに教えてもらったオペラ座近くのたばこ屋さんで買ったとか。素人にはちょっとハードルが高い乗り物だった。

路面電車はリンク通りを反時計回りに走る。で、オペラ座の前で下車。老夫婦もそこで降りたので切符売り場を教えてもらう。まあ旅ってこんなもの。

<オペラ座前の停車場>  <オペラ座>

ウィーンの目抜き通りであるケルントナー通りの入口にオペラ座がある。その周囲にはコンサートチケットを売る人や演奏する人が何組もいた。

<<音楽家たち>>

ケルントナー通りを中心部に向かって歩いていく。この旅で出会うのは殆ど白人touristばかりだったけど、ウィーンの繁華街に来ると黒人もアジア系も沢山いる。日本人と思しき人もそこそこ出会った。土産のTシャツを買う。「No カンガルー」の黄色い交通標識をデカデカとprintしてあり、その下に「ここはオーストラリアじゃないよ」と書いてあるシンプルなデザインだった。

シュテファン寺院はかなり古めかしいが、屋根は珍しいデザインだった。裏手に回るとtourist用の2頭立ての馬車が10台くらい留まっていた。

<<シュテファン寺院>>

あまり時間もないし、魚が美味しそうなチェーン店で夕食にした。Nord See(北海)って名前もロゴもsimpleで好き。ロブスターは34EURで高過ぎたので、白身魚のフリットをchoice。美味しかった! ここでも大量のホクホクのポテトがたくさん付いてきたのでビールで流し込む。

<<dinner>>

ウィーンと言えばザッハトルテなので、ケルントナー通り沿いのザッハホテルで食べてみた。味は普通に美味しい。ただ、表面のチョコがパリンと割れるのではなくしっとり剥がれていく感じで上品。Caféよりも土産物売り場が混雑していた。

<<ザッハトルテとその店内>>

旅の最終日はシェーンブルン宮殿へ

北イタリアに10泊、オーストリアに3泊して、いよいよこの日が旅の最終日となった。

朝食はいつもの五角形に切り込みが入ったパンがメイン。この日はケーキ類もあったのでありがたい。イタリア、オーストリアとも朝食で卵を食べられるのは稀だったなあ。

<モーツアルトのパフォーマンスを演じている人>  <朝食>

再びウィーン中央駅へ。この頑丈なコインロッカーにザックを預ける。実は、昨年スイスでこのコインロッカーに荷物を吸い取られて参ったので、今回は慎重に操作した。

時間もないのでシェーンブルン宮殿に絞ったけど、すんなり行けない。地下鉄が市内に張り巡らされているけど、丁度U4線が改修工事中で代替バスに乗り換えて更に地下鉄でその先に向かう必要があったのだ。お陰で車窓から市内を観れたけど、時間のlossは如何ともし難い。本当はクリムトの絵画も本場ウィーンで見てみたかったけどそれどころじゃなくなった。

<コインロッカー>  <代替バスの案内板>

シェーンブルン宮殿の入場券を買うのでも一苦労。一般券は15~20EURくらいだったと思う。でもそれだと入場まで2時間待ちだとか。34EURでシシチケットを買えば今すぐ観れるという。夕方には空港Flaghafenに着かなきゃあいけないし已む無し。

チケットをもぎった辺りで撮影禁止。なので、木を嵌め込んだ床の写真しか残っていない。ヨーロッパのこの手の宮殿は未だかつてパリのフォンティーヌブローくらいしか入った事がないかも。日本語のイヤホンを貸してくれたので理解できたけど、ハプスブルグ家の栄華は相当なものだったようだ。各室に高さ2.5mくらいの陶磁器が置かれていて、その中から暖房していたなんて贅沢の極みだ。ナポレオン戦争後の処理で「会議は踊る。されど進まず」と言われたウィーン会議の舞台がここだったとか。

<<シェーンブルン宮殿>>

この日のランチは最後だと思って粉ものを頼んだけど失敗。味がしないし、食感がグニャっとしているし、デザートで口直し。イタリアが美味しかった事もあり、オーストリアは相対的に食事は恵まれなかった。

<<<ラストランチ>>>

地下鉄の改札は緩い。自己責任と言えばそれまでだが、切符を目的地まで買っているのが基本でしょって考え方らしく、打刻機械を除くと殆どノーチェック。無駄にチェックするよりも駅員を絞って効率的に運用しているんじゃないかと、旅先で日本人と話した。

<地下鉄の改札>  <<ケルントナー通り>>

ケルントナー通りまで戻ってウィーンの街に別れを告げる。と言うか、旅するならやっぱり田舎がいいな。

駅で最後のアクシデント。空港Flahafen行きの列車が運休だと言う。そりゃあないでしょ。だいたい他にどうやって空港に行けばいいのか知らない。焦って駅員に訊いても「遅れている。次のを待て」言うばかり。「Ausfall」がドイツ語で運休って事だろう。

<<15:12発のRJ645が運休!>>

幸いデュッセルドルフ行きOS155便に間に合い、ANA便で帰国の途に就いた。行きはアリタリア航空だったのに帰りはANAで、ちょっとテンションが下がる。あまりにも日本人搭乗客が多かったので、なんか急に稚内ー羽田便とかへ紛れ込んだような錯覚に襲われた。

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