秋の榛名山

初日は榛名富士に登る

登山日:2019.10.中(ちょうど1年前になる)
バス亭(13:15)→榛名富士登山口(13:35)→山頂(14:25)→反対側の登山口(15:40)

千曲川流域など日本列島に多大な爪痕を残した台風19号が過ぎ去った後の快晴の日に、ちょっと体調が勝れなかったので相対的にラクそうな山をchoiceした。勿論どのヤマもそれなりに大変な事があるし、じっさいに登ってみるまでは分からない。ただ、榛名山は穏やかそうな形状からして大丈夫そうと思わせてくれたのだ。
高崎からバスで榛名湖に向かったのだが、この日も下界は快晴なのに、ヤマに着くとは曇っていた。そこで初めて榛名山って名前のヤマはなく、湖を囲むようにいくつかのヤマが連なっているのだと知った。初日は先ず、よく写真にも載っている榛名富士に登ることにした。榛名湖が標高1084mで、山頂は1391mなのでまあラクでしょ。
<榛名湖と榛名富士、烏帽子岳、赤く染まった葉(2) >

ヤマそのものは紅葉していないけど、赤く染まった葉っぱは所々にあった。どんよりした天気のままの雰囲気の中で登って行った。リフトかゴンドラが営業していたけど、僅か300mなので登る。山頂には白い社あり。山頂を示す標柱はなく、上州の山々の俯瞰図があったのでそれを撮る事で登頂の証に代えた。季節外れに訪れた感じで寂しい所だった。
<山頂にて(4)>

で、反対側の斜面を降りていく。こっちの方が傾斜がキツいかも。台風の雨で綺麗に洗われていたせいか、葉っぱが透明感あった。普通、倒木は枯れて水分を吸い上げられないので乾いている。でも、この日は台風19号でびしょ濡れになったためか、まだ湿気ていて倒木の肌もどっぷり濡れてツヤっぽかった。ようやく下山、登山口の碑の傍にこの日の宿があった。
<下山ルートにて(4)>

翌日は掃部が岳へ

宿(9:30)→登山口(9:55)→硯岩(10:20)→掃部が岳山頂(11:05)→西峰(11:45)→杖の神峠(12:35)→バス停(13:30)

翌日は榛名山の最高峰、掃部が岳に登る事にした。掃部が岳って名前は初めて聞いた。だいたい掃部なんて字は時代劇でしか見たことない。桜田門外の変の主役・彦根藩主の大老・井伊掃部守直弼くらいじゃないか。 宿で群馬名物のおっきりこみを食べて出発する。最初は榛名湖畔を反時計回りに1/3くらい回ったんじゃないか。
<掃部が岳の全景、榛名湖にボート数艇、登山口>

登山口を入ってしばらくすると、丸太の階段が続く。あまりにも長く、かつ土が殆ど流れ出ているので、とにかく足元が悪い。しかも、硯岩は眺望が良かったけど、それを越すと竹藪がちょっと高くなり見通しも悪くなってきた。偶に景色が見えるのが僅かな救い。 
<丸太の階段が延々と(2)>

このヤマ、実はこの先が長かった。しかも、竹藪がモウモウと茂っており、ハッキリとトレイルが判らない。正直なところこれは迷う。しかも、なかなか下りにならなくて、登り返したら「西峰」の標柱が出てきた。えっ! こんなの知らないよ。 
<榛名湖の向こうに昨日登った榛名富士、榛名湖の外周には山々、山頂>

その先もとにかく膝上まで竹に道を阻まれて、草露もべっとりついて濡れてしまった。もうスパッツが意味ない深さだった。正直なところ、もう一度登りたいかと問われると、否だなあ。 
<何の実なのか、反りあがったキノコ>

登山道には全く花は咲いていなかったけど、下山口(杖の神峠)に降りたところで時期遅れのアザミなど何種類かが固まって咲いていた。ネジキは大分で6月に葉の裏ひ小さな白い花を咲かせていたので、もしかして別物かも。

で、そこから先が未だ長かった。林道が途中から舗装道路に変わり、まだまだ延々続くと歩く気力もなくなってくる。途中で崖の法面工事をしている建設業者の人が何人かいた。湖畔までどれくらいか訊いてみても「さあ30分かなあ」、「いや1時間は掛かるぞ」とハッキリしない。とにかく、固い舗装道路をとにかく下り切るしかなかったのだ。無事下山できて、そのまま鈍行で東京へ。
<アザミ、キリンソウ 、キキョウ、 ネジキか、シシウドが枯れた跡か 、法面工事中> 

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