【長編】サバイバル・カヌー ―NZワンガヌイ川―
この記事は2019年12月に投稿したカヌー転覆の速報記事の詳細版です。尚、カヌー転覆事故は旅人にとって笑い話にできてもガイドにとっては不名誉な事であると考え、HP公開に際して人物名はいずれも仮名に変更しています。ガイド氏は偉大な数学者と同じ名前だったので数学者の名前を、その彼女はイタリア人女性の名前の中から雰囲気に合ったものを当てました。
お読み頂いた上でご感想などございましたら、弊HPの問合せフォームへご記入の上で送信いただけますと幸甚です。
Question/問合せ | Y’s Travel and Foreigner (ystaf.net)
(1)グレイト・ウオーク、NZには7つの旅路がある
海外旅行に求めるものはいろいろある。まだ見ぬ怪しい国、未知なる人との出会い、プリミテフィブな暮らし、風光明媚な景色、美味しい料理、大自然との対峙など。その中でも前半の3項はアジア・アフリカの旅に期待するものであり、後者の3つが全て揃っているレアな国の1つがニュージーランド(以下NZと略す)だろう。
しかもNZの人々は常に笑顔だ。街で会う人々もNZ航空の機内安全ビデオに登場する人達もみんな自然な笑顔だ。特に、NZ航空の機内安全ビデオラグビー編やホビット編、アドベンチャー編など愉快だ。ホーキーポーキー・アイスクリームも忘れてはいけない。
そして、旅するたびに違う鳥の鳴き声を聴く事ができるのもこの国に惹き付けられる由縁だ。それも、単調なものではなく4音節で特徴のある鳴き声だ。チチリ、ハハリ、ホヘイド、ピッと聞こえた。チッ、クルル、リッ、パッと啼いている鳥もいた。なかなかリズミカルではないか。
シダの葉っぱが綺麗なフラクタル構造をしていると気が付いたのも、実はNZの森を歩いている時だった。シダは日本の低山でも上高地でも当たり前のように群生している。そんなのいつも見ている当たり前の光景だったけど、NZ北島のフィティアンガを歩いている時に、そうそうこれ! と小躍りしてしまった。数学って実世界でどれほど役立っているのか判り難いけど、ひまわりの種がフィボナッチ数列の通りに並んでいるとか、フラクタル構造がいろいろな場面で観察されるとかそうしたものを目にすると嬉しいものだ。フラクタルは、全体像と同じ形がある一部(写真の一部や時系列グラフ)を切り取って拡大してもやっぱりそこに同じ形を確認できるもの。その筋の本だと例としてコッホ曲線やリアス式の三陸海岸、株式チャート等をよく例に挙げている。そう、よくよく見ればシダの葉っぱも3層構造くらいになっているのを目視で確かめる事ができる。
<ワンガヌイ川は北島の南西部に位置する、シダはフラクタル構造>
※地図はニュージーランド航空の機内誌より抜粋したもの
私も過去にミルフォードサウンド、エイベルタスマン国立公園、コロマンデル半島を訪れており、どれも期待以上の面白さだった。特に、島国であるNZはどこでもカヤックができるのが嬉しい。カヤックもただ漕げればいいってものではなく、荒波でも平気で乗り出して行ってなんとか目的地までツアーで漕いでいく。オープンタイプのカヤックでいろいろな楽しみ方を教えてくれるのもNZシーカヤックの面白い一面だった。パドルを垂直に立ててそこに風を受けてゆっくり前進したり、カヤック3艇を三角形に連結させて1つの帆を張ってグイグイと海上を進んで行くのが楽しかったのだ。
これまでに、NZの自然を満喫できるグレイト・ウオーク7ケ所のうち3ケ所(ヤマ2ケ所と海のトレイル)を制覇していたので、次のグレ-ト・ウオークとして川の旅を選んだ。それがNZ北島の南西部を流れるワンガヌイ川のカヌー旅だった。
(2)「地球の歩き方」に載っていないワンガヌイ川のカヌー旅を現地で探す
自然を相手にする旅は、とっかかりが少ない。グレイト・ジャーニー7つの内、とりわけこのワンガヌイ川のカヌー旅は「地球の歩き方」に情報が載っていない。載っていないって事は日本人も少ない筈できっと楽しい想いができる筈。エイベルタスマン国立公園のシー・カヤック旅(ゲストハウスとボートハウスで2泊3日)も全く日本人には出会っていないし、おそらく当たりだろう。「歩き方」にはラフな地図が掲載されているだけで、どこの街からアクセスすればいいのか判然としない。ネットで検索したけどオハクニって街のツアー会社が検索される程度でそれがベストなのかなんとも判らなかった。
ただ、NZ旅には最強の味方であるi-site(観光案内所)がある。ここで自分の希望を伝えるとバスやツアーの手配もラクラクできるので、まずは北島の南西部ワンガヌイの街へ向かった。街の中心部にワンガヌイ川が流れている。川幅は500mくらいあっただろうか。既に下流域だったので川幅は広く、水は濁っていて第一印象は良くなかった。ただ、大木にポフツカワの赤い花が咲いていたり、川べりは花々で華やかだった。
さて今回の川下りツアーだが、泊まり旅だったのでi-siteでのアレンジはかなり難航した。確かに2泊3日や4泊5日でガイド付きツアーが見つかった。けど出発日は毎週1回で融通が利かないし日程が合わない。キャンプサイドかロッジに泊まるのか、そういう事にはさして拘泥しない。でも食事は大事にしたい。食料は自前で調達して自炊するように言われるが、そこまでワイルドな旅を希望していないので抵抗する。朝食でパンをかじるのも構わないけど、それが3日間8食も続くのを想像すると流石にやってられないのだ。
徐々にパドリングするモチベーションも失せてしまうので、ネゴしてみる。そうすると、今度は個別見積りでバンバン金額が膨らんでいく。それを地元のツアー会社とi-siteのスタッフが電話で交渉してくれ、それが一区切りした所でこちらの要望と擦り合わせていく。この交渉はノーリスク、かつフレンドリーに行われていく。まあこれも旅を作るプロセスなのでこちらとしてはありがたいけど、それを笑顔でこなしてくれるNZ人にホント感謝だ。
2~3時間くらいはそんな交渉を続けた。ただ、アジア・アフリカと違ってボッタクられる心配はない。その代わり、NZは元々の物価がそんなに安くないのでそれなりの金額は覚悟しなくてはいけない。
で、ひとしきり交渉がまとまった所で、問題が発覚した。
「川下りの出発地はオハクニと言う内陸部の街だ。バスで行け。でも、土砂崩れで主要道路は通れないから迂回路を通るしかない。バスは乗換えるんだよ」
と丁寧に教えてもらった。でも結局オハクニに行くのなら、オークランドから直接バスで行けば良かった。オークランドからウエリントンへ向かう長距離バスがオハクニを経由していたのだ。その方がよほど時間の節約になったし、しかもトンガリロ国立公園を経由しているので観光できた筈だ。でも、効率的な旅をはなから望んでいるものではないし、自分で旅のルートを作っていく方がマシだろう。まあ、86kmもカヌーを満喫できるんならこの程度の回り道は大した事はない。
(3)朝食のエッグ・ベネディクトがオイシイ
バスで大回りしてオハクニの街に着いた時には、南半球の12月だと言うのにやけに冷たい雨が降っていた。12月のNZは海岸沿いだとまだ水が冷たいけど泳げる。事実、私は更に緯度が高い南島でしっかり泳いでいる。なのにこの寒さは何だろう。
オハクニは小さな街だった。スーパーが2店舗くらい、飲食店も10軒に満たなくらいの街。高さ5mくらいの人参モニュメントが立っており、レストランにはスキーのポスターがベタベタ貼ってあった。日本で言うと小さなスキーリゾートを抱えた北海道の田舎村って印象だ。ただ、NZでは街のサイズが元々コンパクトだし、FOUR SQUARE(スーパー)がポツンと1軒だけって事もあるのでそんなに驚きはない。ただ、あまりの寒さに震え上がった。
ただ、オハクニに限らずNZ北島の南西部では毎朝オイシイ朝食にありつけた。エッグ・ベネディクトだ。ニュープリマスでもワンガヌイでもここオハクニでも朝食の定番がオムレツでもサニーサイドアップ(目玉焼き)でもなくエッグ・ベネだった。数年前にロイヤルホストのエッグ・ベネが美味しくて何度か通った事があるけど、NZのそれはいつものメインデッシュと同様に具材をタテに積んでくるので見た目も華やかで美しい。
例えば、マッシュポテトとサラダ菜、シイタケ、トマトスライスがドンドンと重ねられていて、頂上にポーチドエッグが1つ乗っているとか。流石に2つ置くのはムリなので、もう1つはその脇にデコレーションされていた。その上にはたっぷりオランダーズ・ソースが載っている。別の日には、ポテトとほうれん草がタップリ敷かれた上にポーチドエッグが器用に2つ乗っかっている事もあった。NZでも他の地域ではあまい記憶がなかっただけに、毎朝これを食べられると嬉しい。ボリュームもあるのでパンを頼まなくてもこれ一皿で十分に腹を満たす事ができた。
<センスの良いエッグベネが卵料理の定番、ポフツカワの花>
(4)オハクニの冷たい雨でカヌー出発は一日延期
先ずは宿探し、そしてカヌーツアー会社のオフィスに顔を出してみる。小さな鉄工場のような建物があって、カヌーやカヤックが10艇ほどあった。そのガレージみたいな空間の脇が小さな事務所になっていた。ドアを開けると、ボスと思しき男がいた。名前はビル、60才前後か。彼は歓迎してくれたものの、ちょっと浮かない顔をしていた。
PCモニターでワンガヌイ川の推移予測を指し示しながら「明日も雨が続くのでおそらくダメだろう。1日延期でどうか」と言う。水位は50cmくらいだけど、予測では1mくらいになると表示されていた。
翌日は確かに雨だった。終日冷たい雨が降っていた。
オハクニの中心部から2時間くらい歩いていった。折角の海外旅行なので、雨だからとすごもりしてはいられない。
小雨になったのを見計らって、ポンチョを被ってオハクニ散策する。川べりのトレイルを30分進むと鉄道駅だった。そこを抜けて「オハクニ・オールド馬車道」と書かれた牛の牧場を2区画ほど右手に見ながら歩く。ようやくトンガリロ国立公園のトレッキング・ルート(正確にはHauawheuna Viaducts Track)に入って行く。
目的地は昔使われていた鉄橋跡だった。ワンガヌイ川に有名な「行き先のない橋(Bridge to Nowhere)」が架かっている。雨に濡れた草むらを辿りながら、それと同じような自然に埋もれた人工物に期待を抱いていた。
が、途中で思いがけず動物と遭遇した。茶色い物体が道から跳び出して反対側の茂みにサッと隠れたのだ。一瞬で判らなかったが、それは茶色いフサフサの毛に包まれたノウサギだった。
日本で八ヶ岳とか飯山とか長野の雪山をスノーシューやアイゼンで歩いていると、一番よく目にするのがウサギの足跡だ。でも、彼らは夜行性なのか野生の姿を拝んだ事は一度もなかった。まあ、日本の冬山でみられるのはカモシカ、シカくらいだ。それと、真冬の上高地に入り込むと、真っ赤な顔をしたサルが思いっきり我がもの顔でエサを喰っているのには面食らった。
それほどにウサギは貴重な存在だった。それを地球の反対側のNZで見られるとはありがたい。しかも、同じのか別のウサギか3回ほど私の目の前をすり抜けていった。彼らはよほど警戒心が強いのか、小さく丸まったその姿を写真に納められなかった。
(5)泥水が流れるワンガヌイ川にパンパンの荷物を積んでカヌー出航
その次の朝、起きると快晴だった。足元の草は朝露で思いっきり濡れていた。ツアー会社のオフィスを訪れると、ビルが「今日は大丈夫だ」と笑っている。この時もPCモニターに川の水位が表示されていたけどそれは2mだった。それは単なるデジタル情報だった。
ガイドはテイラーと名乗り、握手を求めてきた。30代前半くらいか。ガ体はいい。ボソボソと喋る大柄な男で、黙々と出発の準備をしていた。辺りにワインを醸造するような大きさの樽がいくつも転がっていた。それに自分の衣類を詰めるように言われた。樽といってもプラスチック製で取っ手も付いていて持ち運びしやすいモノ。もう1人、笑顔の女性スタッフがいた。彼女とはもっと後になって会話する事になるのだが、イタリア人のエレナ嬢だ。
いよいよワンガヌイ川のワカホロ(Whakahoro)・ポートから入水していく。ここから途中のキャンプサイトで2泊してピピリキ(Pipiriki)まで86kmを下っていく予定だ。この途中に行き止まりの橋Bridge to Nowhereが見られる。ちなみに4泊5日コースではもっと上流のタウマルヌイ(Taumarunui)からピピリキまで145kmに及ぶロングコースとなる。
カヌーとカヤックを一艇ずつ岸に運ぶ。この日の客は他に2名いた。イスラエル人のカップルで彼らはカヤックに乗っていく。川岸で青色のドラム缶を3つ、食料や防寒着を詰め込んだケースが2つ、ガスボンベにコンロ、他にも大きな防水性のザックが乗った。こんなに積むものかと疑ったが、テイラーは「ノープロブレム」と言う。川岸は泥で滑りやすい。直ぐにツルッと滑りそうだ。エレナ嬢に手を引いてもらい、カヌーに乗り込む。
ワンガヌイ川はここでも泥水だった。下流域の街ワンガヌイで見た色と全く同じだったので、雨のせいで濁っている訳でもないだろう。ここは東京・大手町ではないけどカルガモの親子が5~6羽ほど泳いでいた。それとアザミが一輪咲いていた。他は、土手に囲まれた川沿いに目立つものは何もなかった。
ちなみにワンガヌイ川は、2017年にNZ政府から生きた存在だとして法的な人格を認められている。これは先住民族のマオリが守ってきたもので、マオリの文化に理解を示したものだ。ラグビー・オールブラックスの選手を見ても先住民族マオリと白人の混成チームとなっている。2023W杯メンバーでみてもFBボーデン・バレットは白人、SHアーロン・スミスはマオリだ。オーストラリアでもかつてエアーズロックと英語読みされていたものが現在ではアボリジニの言葉でウルルと呼ぶように変わっている。ワンガヌイ川に人格付与した件もそれと同様の流れだろう。
***
いよいよ出発だ。ワンガヌイ川は泥川で御世辞にも綺麗とは言えない。日本は清流が多いので喩えるとココってのが見当たらない。流れは緩やかだった。86kmは長丁場だけど、これならのんびり漕いでいけば大丈夫だろう、そんな軽い気持ちでいた。天気は晴れたり曇ったりだが、気温は相変わらず低い。Tシャツと長袖シャツ、その上にポンチョと3枚ほど着ていたけど、両腕がちと寒いのが気になる。
カルガモが一羽、ちょうどカヌーの手前で飛び立った。イスラエル人カップルも入水したけど、私達が乗るカヌーは私が先頭に座っているけど、ガイドのテイラー氏が後ろに乗ってパワフルに漕いでいたので速い。そのうち別れ別れになった。
しばらくは暢気に漕いでいた。ポートには細い下り坂が付いていたけど、それ以降は左右両岸がずっと崖地になっていた。岩場にシダとか植物が生い茂っている。緩やかな洞川を淡淡と下っていく。
<2泊3日の船旅のためパンパンに詰め込んだカヌー、ワンガヌイ川にて>
(6)カヤック&カヌーはマイナーなので、初心者向けに解説しよう
私はこれまで国内外で30~40回くらい漕いでいるけど、カヤックやカヌーを知らない人もいるだろう。ここでカヤックとカヌー旅に関して、簡単に触れておこう。
カヤックはプラスチック製とスチール製があり、前者は概ねオープンタイプで、後者はクローズタイプになる。川下りだとクローズタイプ、シー・カヤックはオープンタイプが多い。クローズタイプだとスプレースカートを履くので、写真を撮ると魚屋さんのような恰好になる。その前に垂れ下がったスカートの裾をカヤックの縁に一周巻き込んでいく事で、ヒトとカヤックが一体化する。もし転覆した時に、私のような初心者はスプレースカートの手前にあるタグを思いっきり引っ張る事で水中にいてもカヤックから脱出する事ができる。これは練習しておくといい。
私も、高知の清流・仁淀川でカヤックツアーに参加した時に練習する機会があったので、とても役立った。チン(沈没)するのはほんの一瞬で、危ないと思った時にはもうひっくり返っている。慌ててバランスを取ろうとしても無理、一度傾いたものはあっという間にターンオーバーしてしまう。因みに上級者になると、エスキモー・ロールでスッと反転して起き上がる事ができるのはこの目で見た事がある。エスキモー・ロールは水中でたった一掻きしているだけが、上手く体を捻っているんだろうか。
もう1つ例を挙げると、西表島での外洋カヤックは面白かった。ガイドさんとツアー客4名で沖に出てから、カヤックを下りてシュノーケルできる。ひとしきり泳いで体が冷えてきたら、両手でカヤックの左右を掴んで、上体をグッと引っ張り上げて尻から座るなんて事もした事がある。
関東近県にお住まいの方であれば、奥多摩や那珂川で気軽にカヤックを体験できるし、西伊豆とか千曲川の支流、長瀞でも楽しめる。どれも奥多摩の白丸湖だと、カヤックの他にSUP(スタンドアップパドル)も盛んなようだ。本当なら、利尻島、積丹、四万十川、西表島とか遠出した方が断然面白い。因みに私は長瀞以外のスポットは全て経験済だ。
それに対して、カヌーはボートに近い。木製で安定感があり、椅子が据え付けられているので長時間座っているのにも向いている。ボートは両手で左右のオールを漕いでいるけど、カヌーは両手で1本のオールを持って片側を漕ぐ。2人乗りであれば、1人が右をもう1人が左を漕いでゆき、後方に座った人が進行方向をコントロールしてゆく。カヤックと比べると乗れる場所は少なくて、日本だと釧路川の源流部や中流域の釧路湿原で楽しむ事ができる。2艇を横付けしておけば転覆の心配は100%なくなるし、ニューカレドニアの海だと、船の2mほど脇に棒を渡して木を浮かばせておき安定させているカヌーに乗った事もある。
どちらにせよ、ライフジャケットは必須だ。ヘルメットやスキューバスーツは原則として着用しない。唯一それらを装着したのは北イタリアのリエンツァ川(ブルーニコ近郊)だったが、そこはラフティングに適した激流で、私はチリ人のガイドと一緒にそこでカヤックしたけど、そこは無傷で乗り切っている。ただ、チリ人ガイドに「スマイル、スマイル」と何度も声掛けされたけど、激流に呑まれたら大変なので、もうそれどころではなかった、ホントに必死なリエンツァ川でのカヤックだった。
(7)入水して30分、1つ目の瀬で呆気なく沈没
さて、ワンガヌイ川を30~40分くらい進んだ時だった。私が舳先に、ガイドのテイラーが船尾に座っていた。
ちょうど1つ目の瀬に差し掛かった場所だった。瀬は川底に石があって川面がザワザワと波立っている場所だ。落ち着いて漕いでいけば決して難しい場所ではない。
いきなり前からフワッと波を被り、両膝が濡れる。カヌーに入り込んだ水が少し溜まった。1cmあるかないかくらいなのでまあ濡れた程度だった。なので、長瀞や天竜川の川下りでもまあそれくらいあるでしょ、てレベルだった。
でも穏やかな川面にどうして波が来るんだろう、と考えていたその時だった。大波が襲ってきた。ドンと音がして顔も服も濡れた。カヌーの半分くらいまで水が入ってきた。思いっきり荷物を積んでいるのでカヌー全体が水面スレスレだったのか、まあこれは沈没するな、と一瞬で観念した。テイラーは「オッケイ、ノープロブレム」と言っているけど、どうみても徐々に浸水していく。自分の記憶ではスローモーションの映像で残っているけど、実際はあっという間だったのかも知れない。ヨコに転覆したわけではなく、ズブズブと真下に沈んでいった。
テイラーも私も川に投げ出される。
マズイ!
と思ったが、この時点ではそんなに深刻には考えていなかった。カヌーでチンしてもこれまでは数分以内にリカバリできていた経験があったので、海外旅行での武勇伝が出来た! くらいにしか思えなかったのだ。
なので、首まで川に浸かった状態でまずやったのはライフジャケットの紐をキツく締め上げる事。片手でカヌーにしがみついて立ち泳ぎしていると、ライフジャケットが浮かんでしまい思いっきり首を締め上げてきたのだ。そもそもカヤックならともかくカヌーで沈没する想定はしていなかったので紐が緩かったのだ。それと、日本でカヤックツアーに参加するとライフジャケットをキツく締め上げる事までひっくるめてツアー代金にインクルードされているけど、海外の感覚は違う。ライフジャケットを手渡すまでが仕事であって、それを安全に装着するのは各人の自己責任だ。これはNZだけの事ではない。パラオだってスイスだって同じ事。
次に、クロックスがもげそう危ない事に気づく。下手に素足になった状態で川を流されていくと、岩とか川底の尖った所で怪我をするかも知れない。なので、外れないよう慎重に留め具を踵の方に回す。ここまで冷静だった。
テイラーが「大丈夫か?」と声を掛けてくれたが、この時点では至って冷静だったので「ノープロブレム」と答える。川の水は冷たかったけど、まだ元気いっぱい残っていた。テイラーはその後、川に投げ出された荷物を集めようと必死だった。ドラム缶が3コ、衣装ケースが2コ、ガスボンベ、ガスコンロなどどれもプカプカ浮いている。その一部は紐でカヌーに括りつけてあったけど、そのまま漂流し始めたブツもあったためだ。
うん? でも、この期に及んでモノよりも人命優先なんじゃないの?
(8)ただただ流されていく、溺死か凍死かそれが問題だ
川の流れはそんなに速くなかった。むしろゆったりしていた。でも、いざ川底に足が付かない状態で流されてしまうと、そんなに簡単には身動きがとれない。
テイラーも私もカヌーに掴まりながら流されていた。ガ体が良くて重たいせいかテイラーが少しずつ遅れていく。浮き代わりに荷物に掴まっていたのか、彼の様子もハッキリと見えない。
こっちはカヌーに左手を掛けていたので大丈夫。なんとかカヌーをひっくり返せないものか苦闘してみる。カヌーの上に腹ばいで横になって向こう側の縁に片手を掛けてみたり、いろいろ試してみるけど、木製のカヌーはカヤックよりかなり重たく如何ともしがたい。
冷静に周囲を見渡そうにも、ずっと左右は崖が続いている。もし岸に寄ったとしても、その先の展開が読めない。とにかく流されているだけだった。
カヤックが一艇やってきた。あのイスラエル人カップルだった。彼らが「自分達のカヤックに乗れ!」と声を掛けてくれた。でも、2人乗りのカヤックに3人は乗れない。おそらく手を掛けた所でイスラエル人カップルも転覆して同じ運命に陥るだけだ。なので、事態の深刻さと反比例して「ダイジョブ!」と答えるしか術がなかった。せめて彼らが救助を呼んでくれればと願うだけだった。
どれくらい経過したのだろう。体が冷えてきた。元気だった自分の心臓もその内にイカレてしまうんじゃないか。そんな恐怖を感じた。とにかく気力だ! 天を仰ぎながらそう自分を勇気付けるしかなかった。
流されていくと瀬なのか、川面が荒れている場所に何度か差し掛かった。その度に溺れる。いくらカヌーを片手で掴んでいても、何度かそんな場面で手を放してしまう。テイラーもどこに居るのか、どこを流されているのか判らない。とにかく必死で水面に顔を出そうとしていた。いざ顔を出したら反転したカヌーの中だった。真っ暗なカヌーの中は余計に不安にさせる。今度は敢えて潜ってカヌーの外に出る。
一体どれくらいそんな地獄を見ていたんだろう。もう死ぬな、と観念した。NZの川で人生を終えるのはなんとも想定外でやりきれないな、そんな際まで追い詰められていた。
そんな時、上流の方からテイラーの声が聞こえた。
「左岸へ上がれ!」
おっ、確かに左岸が僅かに洲になっていて上陸できそうだ。
そこで記憶は切れた。
(9)助かった!
気が付くと、歯がガタガタと震えていた。体中が寒かったのだ。と同時にボンヤリだけど「生きている」と確信できた。
後ろからガッシッと誰かに抱きかかえられているようだ。振り向くと、大男のテイラーが後ろから抱き着いて体温が下がらないように温めてくれていた。ポンチョなどペラペラの服も短パンもズブ濡れだった。
そう、2人とも助かったのだ。テイラーと軽く言葉を交わす。
「今は何時?」
「岸に上がってから2時間ほど経過している」
「どれくらい流されていたんだろう?」
「30~40分くらいだ。ビーコンでアラートを上げているのでもうすぐ救助が来る」
「いつビーコンを鳴らしたの?」
「3回。沈没した時に1回、それとこの岸に辿り着いた後で2回押している」
こっちも寒くて半ば朦朧としていたので、会話はそれほど続かなかった。
30分くらい呆然としていただろうか。この日は曇天と晴れを交互に繰り返していた。冷えた体はとにかく寒かったけど、この岸で目覚めた時には幸い日が照っていた。そんな小さな事でも事故の顛末に影響しかかも知れないし、晴れていて良かった。
暫くすると、爺さんと若い男女の計3人が乗ったジェットボートが救助に来てくれた。2人とも毛布で暖をとる。
そのままどこかの村に帰還できるのかと思っていたら、ボートは下流に向かう。えっ。そこで流された荷物を1つ1つ回収していくのだ。更に下流へ進むとひっくり返ったままのカヌーを発見した。それを3人掛かりでジェットボートに引き上げる。
テイラーが小型ビデオを渡してくれる。「これで撮れ」と言うのだ。確かに滅多にない映像だ、じっとその様子をビデオに収めた。全長4mくらいのカヌーなので大人3人の力でも容易に上がらない。なので、周囲の光景もビデオに収めた。ワンガヌイ側の両岸は崖になっているので、やっぱり取り付く島もない。ここを30~40分も漂流していたのかと思うと、改めて体の芯から冷えていくのを感じた。3人掛かりでカヌーを引き上げて反転させて水を抜く。
パドルは自分達が漕いだ距離の3倍くらい先の下流でプカプカと浮いていた。よし、これでようやく帰れるぞ。ようやく安堵した。
(10)静かなる撤収、牧場でスモークサーモンとサラミを喰らう
午前中に出発したカヌー・ポートに帰還して、一安心。牧場で経営しているシンプルなレストランで体を休ませる。濡れた衣類を牧場の柵に掛けて乾かし、温かい紅茶をすする。テイラーも私も呆然としていた。2泊3日のカヌー旅はアッという間に終わった。
「明日もう一度カヌーするか?」とテイラーが聞いてきた。テイラーはどこまで本気で喋っていたのか。決して顔は笑っていなかったので、彼は彼で落ち込んでいたのだろう。
こっちも、まだまだ疲労困憊でもう一度カヌーで川下りする心境でもないので、疲れた笑顔で「ジャスト・シンキング」と答えただけだった。
テイラーがキャンプサイドで食べる筈だったスモークサーモンとサラミをナイフで切ってくれ、牧場の道端に座り込んで交互に手づかみで食べる。あっという間になくなったけど、コーヒーと一緒に食べるにはなんとも塩っぱかった。
1時間くらいボンヤリ黄昏ていただろうか。エレナ嬢が迎えに来てくれた。エレナは笑顔でテイラーと私を迎えてくれたが、テイラーも私も言葉少なだった。
牧場を去る時に、ジェットボートで救助に来てくれたオジイサンを見つけた。深く頭を下げてお礼を言う。どうやらあの白いヒゲのオジイサンは牧場主だったのだろう。穏やかな表情でこちらを見送ってくれた。
「今日は俺の家に来い。泊まっていけ」
テイラーがボソッと放った一言、その言葉に素直に従った。
(11)テイラー、エレナとまったり過ごす
その日はテイラー宅で風呂に入ってそのまま眠った。と言ってもベッドに横たわっていたものの、あまりに衝撃の一日だったので殆ど眠れなかった。風呂場で裸になってみると、左手を除く四肢に直径5cm程度の青あざが無数にできていた。ザックリ、右腕、右足、左足に10コずつ計30~40はあった。それを見て、改めて衝撃の大きさに驚いた。左手はずっとカヌーを掴んでいたので無傷だったのだ。右手と両足はカヌーに引っかけて反転させようと何度もトライしていたので、傷だらけになっていた。
実は、両足に青あざを沢山作った武勇伝は国内でもある。志賀高原でスノーシューをするのは楽しい。ある年にガイドさんと一緒に凍った池の上を歩いた。北八ヶ岳の白駒池でも同じ事をしているし、スノーシュー・ツアーのハイライトの1つかも知れない。で、ある年に志賀高原の別の池をスノーシューで歩き始めた。やけに湿っぽい氷だな、と思っていたらパリーンっと足元の氷が割れた。両手を突いてどうにか上体を支えたけど、腰までどっぷり真冬の冷水に浸かった。そこでスノーシューを付けたままの足をバタバタもがいて這い上がる。ようやく立ち上がって2歩進んだらまた落ちた。その時に、割れた氷の周辺で足を動かしていたので、両足とも無残に青あざだらけになったのだ。
そんな経験があったので、四肢の外傷はあまり気にしてなかった。
グルグルと頭が無駄に回転していて、気持ちも高ぶって眠れない。頭を打った記憶はなかったけど、2時間どうやって過ごしていたのだろう、頭部になにか障害とか残らないんだろうか、もし病院に行くにしても英語もたいして喋れないのにどうやって伝えるんだろう、いろいろと妄想してしまったのだ。
思えばワンガヌイ川で何度か溺れかけた。でも、意識が戻った時に歯がガタガタ震えていただけで、呼吸器系の症状はなかったけどテイラーがなにか処置してくれたんだろうか。
そうこうしている内に朝を迎えた。テイラー宅は1階にロビーと寝室があり、2階にも3~4部屋あった。やや高台に建っていて窓が大きいので、明け方になると緑豊かな綺麗な景色が広がっていた。テイラー宅は広い芝生が広がっていた。BBQセットも転がっていたし、今更ながら庭にジェット・ボートがあるのに気付いた。
***
それから丸2日、テイラー、エレナ嬢と3人で過ごした。聞けばエレナはテイラーと同棲していた。
「結婚しているの?」
「いや、まだなの。私はイタリアのアドリア海育ちだけど、この街が気に入って住み着いちゃった。もう2シーズン目になるわ」
「日本で何しているの?」
会社を辞めてから両面印刷のなんちゃって名刺を作ったけど、裏面を英語バージョンにしているのでこういう時に役立つ。
「今は充電中。旅のHPを立ち上げたんだ。これ見て」
「アサクサ(浅草)ってなんなの? 山とか川?」
おおそう来たか。ちょうど北イタリアを旅した時の写真を載せていたので、それを見せると喜んでくれた。エレナからiPadを借りて、とりあえずAmebaブログに「ワンガヌイ川でカヌー転覆したヨ」くらいの速報を投稿した。カヌー転覆事故、これこそブログでリアルに残しておきたいハプニングだった。
「カヌー転覆事故は怖かった?」
「とっても怖かったヨ。でも大丈夫」
と強がってみせた。一晩過ぎると、気分的に落ち着いてきたのも本当だ。まあ、生きていたからこそ笑いごとで済ませられる。
「でも、ヘルメットとスキューバスーツ、浮き輪どれも欲しかったなぁ」
「(NZでは)最近になってライフジャケットが必須になったの」
おいおい、いくらおおらかなNZでも、ちょっと大胆過ぎるよ。
***
私も堪えていたけど、それはテイラーも同じかそれ以上だっただろう。ガイドとして私を救助してくれた訳で心労もあった。翌朝になってもなかなか起きてこなかった。
昼過ぎになってテイラーもようやく起きてくる。ストレージにはキャンプサイドで食べる筈だった食材は思いっきり残っていた。少し水が滲みていたけど、野菜も肉も大丈夫だった。で、テイラーとエレナがミートボール入りトマトソースのペンネを料理してくれた。
「これまでもワンガヌイ川でカヌーが転覆した事はあるの?」
「いや、初めてだ。」
「ドラム缶3つに衣装ケース2つとかオーバーロディング(積み過ぎ)じゃなかったのか?」
「いや、あれくらいの重量はいつも積んでいる。大丈夫だ」
で、動画も見た。私が撮ったカヌーを引き上げる瞬間はつい昨日の事であまりにリアルだったけど、3人で見ていれば気落ちする事もない。むしろ
「ビッグ・アドベンチャーだった」
と2人でエレナに話す雰囲気だった。過去のビデオも見せてもらった。ワンガヌイ川はどうやらいつも濁っているようだが、やっぱり水深の違いだったのか。通常の50cmなら転覆しても流される事はない。冷静に体勢を立て直して再出発できた筈だ。それが2mでは如何ともしがたい。呼吸を繋ぐだけでもう精一杯だった。
<前々日のモニタ画面では水深50cmそして予測水位は1.25m、ワンガヌイ川の左右は切り立った渓谷>
(12)水没したデジカメを米びつに入れておくと動き出すのか
川に30~40分も水没していたので、流石にキャノンのデジカメも壊れた。どーしようもないと思って諦めていたけど、エレナがSDカードをPCにくべてチェックしてくれたら、なんとデータはしっかり生きていた。まさか!
それを見ていたテイラーが「デジカメだって大丈夫だ」と引き取ってくれる。タッパに米を入れて、その中にデジカメを埋める。そうすると、カメラの水分を米が吸い取ってくれるから使えるようになると言う。
実は、これスリランカでも全く同じ事を云われた。かつてシギリヤ村でシギリヤロックの周辺の川で蓮の葉っぱを掻き分けながらカヌーで回った事がある。そこで陸に上がる時に体勢を崩しかけてポケットからカメラを落とした。ほんの一瞬だけど、キャノンのカメラは濡れて動かなくなった。その時にも、明るいスリランカ人たちは、
「すぐにホテルに戻ってドライヤーで乾かせ。それが終わったら、米を借りてきてその中に埋めとけば必ず動く」
と言っていた。
あの時は笑い話と思っていたけど、確かに翌日になって画像表示できるようになり、もう1日経過すると写真を撮る事もできてアジアン・パワー恐るべしと思ったものだ。
全く同じアドバイスをNZで受けるとは思ってもみなかった。日本人はそんな対応すらなかなか思いつかなくなっていると言うのに、世界はみんな逞しい。
(13)映画「サバイバル・ファミリー」
翌日はトンガリロ・ナショナルパークの展望台までドライブに連れて行ってもらった。下界は快晴だったけどヤマはガスに覆われていた。スキーシーズンなら賑わうのだろうけど、南半球の12月も標高が上がると決して暖かくはない。日本で言うと標高2500mくらいのヤマに登った翌朝のような肌寒さだった。
この日もまったりと過ごす。晩飯はテイラー自慢のステーキだった。皮つきのじゃがいもを10コ、アスパラガス並みに細いニンジンも10本くらい、それぞれ別の鍋でボイルしていく。大振りのマッシュルーム10コくらいを4つ切りにして炒める。そこに生クリームを垂らしてステーキソースを作ってくれた。
「俺はマッシュルームソースで食べるのが好きなんだ」
とテイラーが言う通り、300gくらいある厚めの牛ステーキはメチャクチャ美味しかった。3人でこの1皿を食べただけでも、カヌー3日分の価値があったんじゃないか。
***
テイラーが気を使ってくれたのか、一緒に日本の映画を見た。テイラーがチョイスしたのは小日向文世主演の「サバイバル・ファミリー」だった。妻は深津絵里、2人の子供は葵わかなとNHK朝ドラ「ひよっこ」のミツオ(役者名よりも朝ドラの役名で覚えてしまった)だった。電気も電車も止まった非常事態でも会社漬けのサラリーマンは必ず会社に行く。TVも映らなくなって情報が遮断された中でも人々は噂に踊らされて自転車と徒歩でヘトヘトになりながら西に向かう、そんなストーリーだった。
この映画はテイラー宅で初めて見た。日本語の音声だけで英語字幕はなかったけど、テイラーとエレナも大凡ストーリーを理解できているようだった。偶に、難しそうな場面はこっちでカタコトの英語を挟んでフォローしたけど、2人とも笑って観ていた。自分達もサバイバルを経験した直後だったけど、北半球のサバイバルを単純に笑っていた。
<テイラー&エレナと記念撮影:仮名で表記しているのでHPでは非公開>
<マッシュルームソースのステーキ:速報記事のアイキャッチ画像を参照>
<ワンガヌイ川カヌーのパンフレット:Whakahoroを出発して2日後にPipirikiに到着する予定だった……>
(14)隠しておいた涙がポロリこぼれてしまう
丸3日、テイラー、エレナとスローペースで過ごしているとそれはそれで楽しかった。
ワンガヌイ川カヌーはいつかリベンジするとして、別れの日がやってきた。3人でオハクニからブルズの街までドライブした。途中に名も知らぬ綺麗な渓谷(おそらくRANGTIKEI)で写真を撮ってもらい、ノンビリと南下していった。NZ北島には南北に地溝帯が走っており、東側に大きく盛り上がった崖地が続いていた。
途中で寿司も食べた。流石に日本のそれとは比べ物にならない。米も固くて決してオイシイものではなかったけど、3人で食べるのはいい。テイラーもエレナも箸を持って笑顔だった。
ブルズでの別れは感傷的になった。のべ3日も一緒に過ごしたのだから当然だ。この3日間あれこれ喋った。テイラーはどちらかと言えば無口な方なので、正確に言うとエレナと喋った時間の方が多い。けど、最後はエレナが席を外してくれ2人で喋った。ラグビーで試合終了後にジャージ交換するシーンを見た事があるけど、別れ際にテイラーが黒色の暖かそうなフリースをくれた。私が12月のオハクニに居るにしては薄着で寒そうな恰好をしていたためだ。生憎こちらは旅のザックにたいしてモノを詰めていなく、ワンガヌイ川で転覆していた時に来ていたTシャツを渡した。小田原郊外にあるアサヒビールの工場見学で買った南国の花柄がカラフルな濃紺地のものだ。でかでかとオリオンビールと印字されている。テイラーの体格はこっちの2回り以上もデカくてすぐに破れてしまいそうなので、エレナにプレゼントすると言ってくれた。
「またオハクニに戻って来るヨ」
そう言って、ニュープリマス行きの長距離バスに乗った。車窓にはNZの緑の大地が広がる。郊外に出ると羊の群れも疎らに目に飛び込んでくる。海の青も綺麗だった。
一人になると急に寂しくなった。そこで落ちるともなく涙がこぼれ落ちた。「生きてて良かった」心からそう思った。改めてそう感じたのだ。
***
いざ一人になってみて、初めて素朴な疑問を抱いた。自分はどうやって陸に上がる事ができたのだろうか? 必死で泳いでなんとか自力で辿り着いたのか、テイラーが引き上げてくれたのか、それとも川の流れが偶々その洲に向いていたので流れ着いただけなのか。実はこれに関して帰国後にエレナとビル(ボス)にメールを送ったのだがハッキリしなかった。テイラーのメールアドレスを知らなかったので2人に託したのだ。
それと、冷静な状況に戻ると、あれこれ考えだす。サラリーマンは卒業して2年、どうにか生活も回りそうでまあのんびりしていた時期だった。カヌー転覆の原因は水位上昇かオーバーローディングなど外的要因で自分でない。けど、こういうディザスター(災害)に巻き込まれたのって、生き方を問われているんだろうな、と思わずにはいられなかった。人生10年に一度くらい転機がある。開腹手術してちょうど10年経過していたし、「油断するなよ」「もっと真剣に生きろよ」と言われているような気がした。充電中って肩書きはいつまでも通用しないしね。
バスの中でずっと神妙な面持ちをしていた。
(15)もう1つの事件
ニュープリマスに戻ってきた。つい先日の出来事であり、この街でワンガヌイ川の武勇伝を何人かと喋ることになった。こちらから話したのもあれば、紫色のアザを見て「どうしたの!」と向こうから訊かれたのもあった。
馴れない英語でひとしきり事情を話し終える。呆れる人もいれば、「元気そうで良かった」と笑ってくれる人もいた。某ホテルのスタッフから「そういうのをdo a devilって云うんだヨ」と教えてもらった。はて、どういう意味なんだろう?
帰国後にdo a devilをネット検索しても見つからなかった。be a devilが「思い切ってやってみな!」だったのでそれに倣うと「際どい修羅場を切り抜けてきたネ」でいいんじゃないか。
ホテルはいつも通り決めていない。時計台がある大通りを少し南に歩いてみた。その夜はモーテルに泊まった。考えてみるといつも車を使わない旅をしているのでモーテルに泊まるのは初めてかも。2階建てのアパート形式の建物だった。
ビールを呑んでベッドに入る。
夜中1時過ぎのことだった。ドンドンドンとドアを叩く音で目が覚める。男が大声を出して叫んでいる。大声出して叩いているのはホントにこの部屋なのか?
怖かったので電気を付けないままドアに近づいてみると、明らかに自分が泊っている部屋のドアが揺れていた。どうやらホントだった。ドアノブをガタガタ回す音も響いてきた。
はて、一体何事が起きているのか。どうしよう……。
ヘタに関わらない方がいい。まずは様子をみることにした。やり過ごして終わってくれるならそれで構わない。消極的な対応を選んだ。
それでも騒がしい。
高級ホテルならフロントに電話で助けを求める事もできる。でも、ここはモーテル。アパートみたいな構造だから不審者が外から入ってくるのも可能だし、そもそもフロント機能なんてない。まあ、仮に電話できた所で英語をマトモに喋れないので結果は変わらないかも。
30分くらいは男の声とドアを叩く音が続いていた。
強盗ならドアを蹴破って侵入してきてもおかしくない、でもそこまで乱暴なことをしてこない。一体どういう輩なんだろうか?
トイレに立つ。照明を付けて大丈夫かと不安に思ったけど、まあ付けるしかない。
これで輩にこの部屋に人がいる事は伝わった。
安いアパートと同じ作りなので、廊下に面した位置にバス・トイレがあって窓まで付いていた。こそっと窓を少し開けてみると、ドアの前にやや小柄な黒人が立っていた。男は20~30代で白人でもマオリでもアジア系の顔つきでもなかった。暗闇で見た顔は明らかに黒人だった。
トイレで用を足す。灯りを消す。
それでも呼び出す声は治まらない。
これでは流石に眠れないし、決着をつけるしかないか。
でも、いざこの輩と対面してそのまま部屋に乱入されても困る。勝てないのだ。パスポートとかクレジットカードなど貴重品をベッドの下に隠す。
ほうきとか尖ったモノを探そうにも室内には何も武器になるようなモノは何もない。唯一持っていたのがトレッキング用のストックだった。ただ、長年のヤマ歩きで石突きが取れてしまい、武器としては微妙な威力しかなかった。
怖い。
けど、強盗じゃないと信じてドアを開けるしかない。一応、ストックを長く伸ばしておいた。
思い切って開ける。
「あんた誰?(Who are you ?)」
向こうもほぼ同時に
「アーユー(Are you)オーサマ?」
と返してきた。
意味が掴めないのでとにかく「No !」と告げる。
「I’m tourist.(観光客だよ)」
と付け足すと、ようやく人違いと分かってくれたみたい。
ただ、懲りない彼は、隣りの部屋に移動してまたまたドアを叩き始めた。
どういう事だ……。もう静かにしてくれ。
彼の「オーサマ」って言葉は何を言いたかったんだろうか。改めて考えてみると英語である単語を思い出した。日本語の「ヤバイ」は肯定、否定どちらのシーンでも使うワードだ。「awesome」も同種の言葉だと思うのだけど、自分では使った事がないので想像の域を出ない。
このモーテルにもう1泊するつもりだったけど、もうとても無理。朝になって管理人の中華系のオバちゃんに事情を話したけど、どこまで伝わったのか。もう忘れたい気分だった。イタリアでは激流カヤックの現場に連れて行かれてダッキーで川下りをヤル事になったり、カナダでは温泉にある更衣室のロッカーを勝手に開錠されたり、先進国の旅は安全なフリをしてたまに怖いハプニングでこちらを襲ってくるから要注意なのだ。
(16)クリスマスの粋なはからい
ニュージーランド航空の愉快な機内安全ビデオを気に入っている事を前に触れた。他にもおやつが充実しているのがありがたい。煎餅と同じくらいの大きなクッキー「Cookie Time」も定番菓子の1つだ。チョコチップ入りでなかなかオイシイ。なかにはホワイト・チョコが入っているタイプもある。国内線でオークランドに戻る機内でもコレが出てきた。
この日は12/23で、クリスマス・シーズンの真っ盛りだった。いつもならCAさんがおやつを配ってくれるのだが、この日の機内ではクリスマスらしく粋な演出があった。
CAさんがずっとニコニコしてゆっくりと近づいてくる。でもドリンクとお菓子を配っている雰囲気ではない。ようやく近くに来たら分かった。ちょうど小学生くらいの男の子と幼稚園くらいの女の子がおやつを配ってくれていたのだ。
この子供たちは乗客の中からプレゼンターとして選ばれたんだろう。年長の男の子は見知らぬ大人たちに接するのが恥ずかしいのか固まった表情で不愛想に構えている。女の子は赤いクリスマス帽を頭に乗っけてあどけない表情だった。でも、自分がなぜ機内を歩いているのか、何をしているのかサッパリ分かっていない様子だった。トボトボと歩を進めてクッキーを渡す動作を繰り返していた。
こちらが「サンキュー」と言うとカワイイ女の子が幸せそうな笑顔をみせてくれる。カヌー転覆アクシデントからまだ4日しか経っていないタイミングでまだ意気消沈していた私にとって、ニュージーランド航空の思いがけない演出はありがたいものだった。
オークランド国際空港に辿り着いた。国内線ターミナルから国際線ターミナルまで10分ほど屋外を歩いて移動する。もうここを歩くのも6回目になる。機内での心温まる出来事が心の一隅を刺激したのか、ふいに涙が流れた。センチメンタルなタチではないけど、今回のカヌー転覆ハプニングは本当に命に係わるものだった。オークランドは常にニュージーランド旅のスタート地点であり終了地点でもある。その懐かしい空港に戻ってこられた安心感でホロッと来たのだ。
(17)Gメールで届いた「Disaster river trip in the Whanganui」
帰国してほどなくNZのエレナから電子メールが届いた。グーグル・フォトが付いており、沢山の写真が載っていた。2時間経過して意識が戻った時のくたびれ果てた顔、カヌーを引き上げた時の動画、テイラーやエレナそれにビルとの記念写真、テイラー宅の風景、そしてブルズへのドライブ途中に渓谷で撮ってもらった写真も入っていた。
それらは1つ1つ懐かしい想い出だ。結局、米に沈めておいたデジカメが復活する事はなかったので、その1つ1つが貴重な想い出なのだ。
ただ、エレナが共有してくれた写真のタイトルで驚いた。「Disaster river trip in the Whanganui」と書かれていたのだ。ディザスターって何? 単語を検索してみると災害って和訳が出てきた。語感次第で人に与える印象ってなかなか微妙なもので、私にとってあのカヌー転覆は確かに生死の境を彷徨ったけどハプニングかインシデントだった。でもエレナは災害だと表現した。災害だと3ランクくらいシビアに感じる。当日はなんとか凌いだ事でその場をやり過ごす事しかできなかったけど、第三者の目の方が確かだろう。
実際、帰国してから大変だった。39.9°の熱発に襲われたり、四肢の内出血が足首に降りてきたために1週間ほど歩行困難になったり、念のため神経内科で頭部CT撮影してもらったり、波状攻撃に襲われたのだ。
では、これでカヌーに懲りたのか? そんな事はない。転覆事故の4日後にニュープリマスでシーカヤックしているし、コロナ禍の2020年にも積丹の海でガッツリ漕いでいる。また、その内にテイラーとエレナに再会したいと暢気に構えている。
(18)帰国後にヨロヨロと5連打(高熱、歩行困難など)
この項を書くべきか迷った。ただ、こうしたトラブルに巻き込まれた旅行者は稀だろうし、カヌー転覆事故の記録をしっかり残しておく事も大事だと考えて、Amebaブログに掲載した文章をそのまま載せておく。勿論、海外旅行記としては余分なパーツなので読み飛ばして頂いて構わない。
手足の内出血は30~40ケ所(+右下腿に骨膜の腫れ)あって外見上は痛々しかったけど、痛みはなかったため、その後も普通に旅を続けられた。転覆した3日後にはニュープリマスの海岸で軽くシーカヤックもしたので、トラウマもなくメンタル的にも元気だった。なんだ大した事なかったのかと自分でも安心していたのだが、涙がポロリとこぼれたくらいの事では済まなかった。帰国してからガタガタと5連打を浴びてしまったのだ。
- 熱発
帰国翌朝は悪寒で目が覚めた。完全に熱発だ。体温計で計る度に上がっていき、14時頃に39.9℃。こんなの人生の最高記録じゃないか。少なくとも大人になってからこの体温は初めてだった。のども痛い。取り敢えず余っていたカロナールを服用したけど、大して下がらない。だるいし動きたくなかったけど、流石に40℃-overになったら怖いし、近所の病院でロキソニンとトランサミンを処方される。いずれも後発薬を渡されたのには参ったけど、悪寒がしていて「交換して」って言う気力もなくそのまま寝込んだ。
熱は1日で平熱に下がった。会社勤めだったらあまりのだるさで休んだだろうけど、翌日から続けて「素数とゼータ関数」の講義が3時間ずつあったので、這ってでも出席したかった。実際のところ座っているだけでだるくてフラフラ。
- アキレス腱など足首の痛み
その講義を終えていざ立ち上がると足首が痛くて動けなくなった。右足はアキレス腱で、左足はくるぶしの下辺り。時間帯によりどちらかがより痛かったけど、とにかくヨボヨボだった。机とか壁に手を当てながら伝って歩く感じ。周囲から「大丈夫ですか?」と声を掛けられて体裁が悪い。タクシーで帰るには距離があるし、松葉杖が欲しかった。
で、痛み出してから3日目に整骨院に行くと「なかなか派手な内出血でヒドイ。痛いのは足の内出血が下に降りてきて足首に溜まって腫れている為」と言われる。だから、カヌー転覆から数日はなんの問題もなかったのか。で、電気治療とテーピングで固定する事になった。足首の腫れは痛み初めて3~5日目がピークだった。内くるぶしのでっぱりなんか見えなかった。
- 歯が欠けたのか
カヌー転覆後に意識が戻ると、口の中に違和感あり。舌で触ると歯の角が尖っていた。歯並びの中で、そこだけスコンと抜けた感じで高さが揃っていない。欠けたのか、ズレたのか、圧迫感がある。それが右下のどの歯なのかハッキリしないまま帰国した。で、ようやくヨボヨボと歩けるようになってから歯医者を受診した。健康な歯でなくて、仮止めしていた仮歯で助かった。
- 頭がボーッとする
正月はボケーッとしていた。なんか頭がボンヤリする気もする。そりゃあ旅行の疲れもカヌー転覆もメンタルもあるかも知れない。でも、頭がクラッとしたり不安定な感じは年末年始ずっと続いた。NZ旅行中にはそんな症状はなかっただけに不思議だったけど。毎日昼間から眠りこけていた事も家族から指摘されて、私自身もだんだん不審に思えてきた。確かに、カヌー転覆で30~40分流されて最後の5分は記憶にない。その後2時間も気を失っていた。うーん。
で、正月明けに頭部CTを撮ってもらう。出血とか異常はないとの事で安心。ただ、定期的に血液検査している医師の診察を受けたら、ビックリ! 腎機能が露骨に落ちているという。「尿が出ているか? 水分は摂れているか?」と問われる。腎機能で異常を告げられたのは初めてだった。
肝臓は毒物や薬物の解毒作用があるのでクリアランスって言葉がある。クリアランス能が高いと経口薬を一般容量で服用しても効き目が弱い、ってかつて言われた事がある。同様に、腎臓は不要なものだけを尿として濾過するのでその機能を見るためにクリアランスって言葉を使う。こちらはクリアランスが落ちると老廃物を体外に排出できなくなってむくんだりする。幸い自覚症状はなかった。腎クリアランスの低下はeGRF(血液検査:糸球体濾過量)で確認できるけど、ずっと60~80で安定しており気に留めた事もなかった。それが、なんと37に急落した。
焦ったけど、定期的に通院していたからこそ可視化できた症状だった。医師が「カヌーが原因かも知れないし、であれば治まっていく過程だろう。そのせいで頭部に症状が出るかも。1ケ月後に再検査しましょう」と告げてくれた事でようやく安心できた。
<eGFRの推移(2008~2023年):カヌー転覆の直後から急低下>
- ぎっくり腰
一難去ってまた一難。足首の痛みが治まった頃に、今度は腰に来た。ぎっくり腰なのか。足首の痛みのせいで不自然な歩き方を続けていたのが行けなかったのか、それともそもそも30~40分流されていたので、その間ずっと立ち泳ぎしていたって事。水深2mだったし、両岸の岩に当たっても怪我するし為す術がなかった。それで下半身の筋肉に疲労が蓄積していた為かも知れない。ぎっくり腰には前に曲がったまま立てないのと、立っていられるけど曲げられない、その2パターンがある。
この時の痛みは明らかに後者だった。前屈しようにも手の指が太ももの辺りで止まってしまう。固すぎ。立ったり座ったり動作が辛いし、畳の上に座っているのもすぐ限界が来てしまう。どこの筋肉に損傷があったのかで症状が違うらしいけど、いずれにせよ悲しい状況が続いている。ぎっくり腰って端から見ていると笑えるけど、当事者になるととにかく辛い。10日ほど連続でマッサージに通っていた。
**
不思議な事に、1つ1つの症状が順繰りに訴えてきた。勿論、熱と足首痛と頭痛とぎっくり腰が一気に襲ってきたらこっちも耐えられないけど、ヒトの症状の出方って我ながら面白いものだと感心してしまった。ただ、体のダメージもここまで来れば十分でしょ。
(19)2020年は地球上どこもサバイバルな世界だった
映画「サバイバル・ファミリー」を3人で観た時、あの時は単なるエンターテイメントとして笑っていた。それだけの事だった。
でもNZ旅を終えてほどなくすると新型コロナ感染症が世界中で広がっていった。最初は武漢の風土病、対岸の火事でしょ、と思っていたけどまさしく現代のペストのような凄まじい状況に陥った。
2020年春の緊急事態宣言下で、世界中の人々がなんらかこれまでの生き方を見つめ直す事になっただろう。東京は便利だけど密から逃れる事はできない。暫定的にライフスタイルを見直した都会人もいるだろうし、思い切って移住した若者もいるだろう。勿論、職住を脅かす恐怖に苛まれてしまった方も少なくない。
映画「サバイバル・ファミリー」の世界を決して笑えないし、こんな厳しい現実が待っているとは想像だにしなかった。映画では電気が止まった暮らしが2年くらい続いて、ある日急に復旧した。人々は何事もなかったように便利な生活に戻って行ったけど、アフター・コロナはどんな世界になっていくのか。
【本文の改訂履歴】
【2021.4.21追記】(15)Gメールで届いた「Disaster river trip in the Whanganui」、及び(16)帰国後にヨロヨロと5連打に一部加筆した。
【2022.3追記】部分的に改訂あり。
【2022.6.23追記】 タグを追加した。
【2022.9.16追記】2022年5月に別稿でワンガヌイ川の旅の「あとがき」を作成したので、合わせてご参照ください。
【2024.3.25~4.3追記】いくつかの微修正、並びに以下の点を対応した。
・ワンガヌイ川の人格付与について加筆
・ワンガヌイ川水位予測の写真説明文を正確に補記
・(15)を設けて、do a devil発言とモーテルでのトラブルを追加
・(16)を設けて、ニュージーランド航空のクリスマス・サプライズを追加
・eGFRのグラフを挿入
【ご参考】noteにこの記事を掲載しました
【2022.5追記】お陰さまで旅行記を弊HPにアップしてから1年が経過しました。文章を修正した上で 、前後編に分けてnoteに投稿しました。
【2024.3.25追記】noteには 2022.5以降に修正した差分を反映しておりません。
サバイバル・カヌー inニュージーランド(前半)|ハッサン|note
サバイバル・カヌー inニュージーランド(後半)|ハッサン|note