【番外編】アントニオ猪木 追悼
このサイトは旅ブログながら、たまに大きく外れた記事をアップする点はご容赦願いたい。
2022年10月1日にアントニオ猪木が亡くなった。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
本日は、アントニオ猪木に関する記事を書き留めておきたい。3部構成になっており、最初の2つは既にAmebaブログに投稿した内容、3つ目は当HPに初めて書く内容です。 最初の章には太平洋の島国パラオの話題が含まれているので、貴重な旅の想い出でもある。
(1)パラオで撮ったアントニオ猪木との1枚
私は1970~1980年代の猪木ファンだった。NWF世界ヘビー級王座のベルトを賭けてT・J・シンやスタン・ハンセンとの闘いを繰り返した。アントニオ猪木の訃報を知って、久々にハンセンとの試合をYouTubeで見てしまった。一番ドキドキ興奮したのは、ブルーザー・ブロディが新日本プロレスに移籍した当初のシングルマッチだった。
自分が最強である事もリングで誇示できるけど、猪木の魅力はそれだけではない。対戦相手の得意技も体を張ってキチンと受け留めて、魅せ場を作って試合を作りあげる事ができる。それが「風車の理論」だ。延髄斬りとか卍固めなど決め技もいいけどそれだけではない。インディアン・デスロックで観客席を盛り上げる事も忘れない。こうした場を作るエネルギーは猪木が最高、もしその才能を受け継いだレスラーがいるとしたら、やっぱり長州力しかいないだろう。
アントニオ猪木が参議院議員選に立候補した時には2回ともキチンと投票している。野球選手が立候補した時にも、迷わずスポーツ平和党と書いた。パキスタンや北朝鮮を訪問できる勇気は他の政治家にはない。私は全くの無宗教だけど、もし猪木教があったら入信していたかも知れない。
プロレスでも他分野でもそれだけのパワーを見せつけてくれた偉人だった。IWGP決勝戦とかアントン・ハイセル、UWF設立当時の真相などよく分からない部分もあったけど、それはそれとして衆人の耳目をずっと集められる存在だったのだ。
<アントニオ猪木とパラオ・コロール島にて>
すっかりプロレス熱が冷めた後、2011年3月に私はパラオにいた。パラオのダイビング・シーズンは11月~3月。ダイビング・ライセンスこそ持っていないけど、私はパラオでダイビングを覚えて、何度か体験ダイビングをしている。「海って碧いんですね~」と至極当たり前の事を言って、ダイピング・インストラクターを呆れさせてしまった事もある。それくらいパラオの海は綺麗に澄んでいるのだ。
ある時、カープ島で体験ダイビングしてコロール島に戻ってきた。この日の深夜にいよいよ帰国なので、最後にちょっといいレストランに入る事にした。グアム経由の深夜便なので閉店時間までしっかり粘るつもり満々でビールを注文したのだ。
そこで食べていると、何やら大柄の男性が入って来た。ミクロネシアなどパラオの人々は横にボリュームがある体格であって決して身長が高い訳ではない。どうやら日本人。それにしてもアゴがしゃくれている。しかも、Tシャツ姿で首からタオルを掛けている。
もしかしてアントニオ猪木じゃないか!
えっ!
最初は様子を見ていた。でも、意を決して「猪木さんですか? ファンです」と話しかけてみた。こっちは金曜日夜8時にワールドプロレスリングの中継を欠かさず見ていたし、「週刊ファイト」も愛読していた立場。もうドキドキして動悸が抑えられなかった。パラオにはイノキ・アイランド(無人島)があるけど、それとは関係なくCM撮影で来訪されていたと話してくれた。他にも二言三言ほど話した。如何せんこっちとしては緊張していたので、あとは何を喋ったのかサッパリ覚えていない。
ちょっと間を置いてから、一緒に写真を撮って欲しいとお願いしてみる。心良く応じて頂いた。それが冒頭の写真。享年79才で、この時が2011年3月だったので当時68才だった事になる。
ホテルのレストランのウエイターさんにカメラを託したのだが、猪木さんに近い方から撮影してくれたので、猪木さんと私で顔の大きさが実体以上に更に対照的になってしまった。もっと素直にサインもねだれば良かったのだが、ちょうど猪木さんのツレの3名がおっとり刀で来られて、その機会を逃してしまった。思えばおっとり刀ってワードも、古舘伊知郎がアントニオ猪木の実況中継で盛んに使っていたなあ。
これは私にとって宝、本当にいい記念の1枚なのだ。
(2)NHK「闘魂よ、いつまでも アントニオ猪木」
NHKが桑子アナの番組「クローズアップ現代」でアントニオ猪木を取り上げてくれるのは嬉しい。と言うか、アントニオ猪木がプロレスについて語る時「市民権」ってワードがあったのを久々に思い出した。他のスポーツと違って、どんなに注目され活躍してもプロレスがスポーツ新聞以外に取り上げられない事。TVのスポーツコーナーにも朝日新聞にも登場しない隔絶された感覚。なので、NHKでプロレスの試合の一場面が放送されるだけでも、プロレスの市民権得られた、それは猪木の偉大なる貢献と言えるんじゃないか。
痩せこけた姿で車いすに座って「生きている事そのものがメッセージ」、「一歩踏み出してみろ」と喋る猪木の姿を見るのは辛い。
アンドレ・ザ・ジャイアントの肩に乗る猪木。圧倒的な体格差があるのに果敢に攻める。関節技を決めて乗っかる姿が一寸法師のように小さいけど、それでも勇ましい。この構図って、1980年代にWWFチャンピオンとして来日したボブ・バックランド戦での印象が強い。おそらく同時代のものではないか。
いい爺さんになったスタン・ハンセンのインタビューも出てきた。ウィー、と叫ぶあの迫力は堪らなかった。ハンセンの言葉を聞いても、やはり猪木が繰り出す刺激が強烈だったのだと分かる。
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どの試合でも何かしら新しいことがあり、私はそれに耐えねばなりませんでした。そうやって私を不安定な態勢にさせました。最も印象的だったのはこの点です。(中略)そこから30年がたった今、ファンはたくさんの技を見ているわけですが、それらを革新し、開発したのは彼なのです
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※出典:
“アントニオ猪木とは何者だったのか!?” 藤波・ハンセン・新間・古舘が激白 – クローズアップ現代 – NHK
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pBe2a19gzN/
もっと感想を書きたいけど収拾がつかないのでここでストップ。
NHKが予定していた10/10の追悼番組が延期になったのは残念。いつ放送になるんだろう? それにしてもテレビ朝日って冷たいんじゃないの。お笑いとプロレスを一緒くたにして、金曜夜8時の枠を潰してしまったし、追悼番組も作っていないのではないか。
<上記番組の映像より、本の表紙>
(3)宝島社「猪木伝説の真相 ―天才レスラーの生涯―」
アントニオ猪木が亡くなってから、本屋でボケーッと目を晒していて見つけた一冊。迷わずに買ったところが元プロレスファンの証と言うべきか。
この本は、猪木本人と10名くらいの証言で構成されている。全く知らない人の分はスッ飛ばして、佐山聡、前田日明、藤波辰爾、藤原喜明、武藤敬司、グレート小鹿、天龍源一郎、大仁田厚のインタビューを読んだ。いずれも2019年秋のコメントだと言う。
2019年にもなれば年令的に回想録を期待したいアントニオ猪木のコメントだが、常に未来にベクトルが向いているので彼には過去を語る思考がない。「猪木イズムを繋げなかった」って言葉が出てきたけど、長州力を含めてこれだけの後輩レスラーを輩出してきたのは厳然たる事実。それに、グレート小鹿にも新日本の諸レスラーにも猪木の練習に対する真摯な姿勢はシッカリと受け継がれてきた。それだけで十分じゃないか。
「来る者を拒まず、去る者を追わず」これは1980年代に猪木の主義を表すフレーズとして使われてきた。この本を読むと、猪木の元を去った者でもその後で和解していたり、変わらぬ尊敬の念を持っていた事が伝わって来る。
驚いたのが、前田日明のトーク。藤原喜明の言葉として「猪木は自閉症だ」って驚きのコメントがあった。ストロング・スタイルを標榜してプロレスの市民権獲得を目指して時代の事だから、常に思い詰めていた故なのかも知れない。そう、この「プロレス市民権」って言葉は20代の頃に友人と真顔で議論した事があった、とても思い出深いワードなんだな。
でも、だったら、いつから「元気ですか!」とか「1,2,3、ダァー!」に変わっていったんだろう。確かに1980年代のリンクでこのフレーズがあったのか、もうハッキリ覚えていない。それとも空元気、プロレス故のショーマンシップだったのか。
藤波辰爾や藤原喜明の章では猪木との出会いが書かれている。こうした逸話は初めて知った。それと、藤波の視点で長州力の「かませ犬」発言の事が書かれている。確かにそうなんだろう。でも、そこに乗せてしまう巧さが猪木にあったって事だな。
闘魂三銃士の一角・武藤敬司は世代的に離れているせいか、トークを読んでいても猪木に対する尊敬の念が薄くなっているように感じる。時代の空気に乗っかっていたような客体として突き放した印象を受けた。別にそれを非難している訳でもない。それと、武藤が話していた以下の記述はそりゃあそうだな、と肯首した。これまで気付かなかった点だった。
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プロレスを格闘技にするなんて、本来すげえナンセンスな話なんだけど。猪木さんの影響をモロに受けてしまった若い頃のあの人たちの純粋な思いが……(中略)……坂口(征二)さん、マサ(斎藤)さん、長州さんとか、アマチュアイズムから入った人って、絶対そっちには行かねえし
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全日本のグレート小鹿も猪木と一緒に日本プロレスを脱退する可能性があったのか。グレート小鹿の章は、自分が知らない時代の馬場と猪木なので面白かった。カネの馬場とアイデアの猪木ってその通りかも。NWAのレスラー招聘ルートもカネ次第だったって事か。
この本の前書きに「アントニオ猪木について考えることがすなわちプロレスである」と書かれていた。そう、プロレスは単なる試合結果だけじゃない、その試合をマッチメークする意味付けやストーりーがあって、ようやくその試合当日に至る。でも、猪木がどんな深遠な考えでそこに至ったのか、それが全て開陳していない(勿論しなくていい)からこそ、フロレスファンはそれぞれの考察をしたんだな、あの頃は。