W杯ドーハ大会の時期に中東旅を振返る
現在、サッカーW杯2022大会で盛り上がっている。 舞台はアラビア半島の小国カタール。 とにかく暑い国だ。
どんな大会でも現地における問題・課題を掘り返して伝えるのがメディアの仕事。カタールではネパール人など南アジア地域の労働者が流れ込んでいる事が開幕前後から報道され始めた。でも、それって今になって急に騒ぎ出すような話題なんだろうか。観光客がドバイ(UAE)やドーハ(Qatar)で遭遇する人の大半は自国のアラブ人ではない。シリアなどアラブ諸国、それとネパール、スリランカなどアジア諸国からの出稼ぎ労働者である事が多い。それは、どこかのブログにも書いたけど、タクシ-に乗って喋ってみればすぐ分かる事なのだ。
(1)カタールはトランジットのかすかな記憶
カタールは日本にとっては大事なLNGの輸入元であり、パチンコ屋みたいに賑やかなドバイ(UAE)空港と比べたらまだまだ落ち着いた雰囲気を残している国だ。
かつて2回ほどカタール・ドーハ空港をトランジットで利用している。最初はエジプト・シリアに旅行した時、それともう1回はアイスランドで火山が噴火してヨーロッパ中でフライトが制限されていた頃だったと思う。
ただ、ドーハ市内に出たのはどちらも僅か1日のことで、とにかく暑かった。都市開発の真っただ中でインドのTATA製トラックがバンバン走り回っては土埃が舞い上がっていた印象がある。と言うか、それ以外にはほぼ記憶が残っていない。なので、カタール・ドーハの写真はスマホに僅かしか保存していない。
<海沿いの美術館、タジン料理>
1度はドーハ着がラマダンの時期と重なっていたので、朝メシを食べるのに苦労した。こういう時こそ5つ星ホテルに行こうとヒルトンかどこかに入ったのだが、1階も2階も閑散としている。まさかと思ってフロントで聞いてみると、
「お前はムスリムじゃないな。だったら、最上階へ行けば食べられるぞ」
と教えてもらえた。
確かにそこには白人ばかり、朝食ブッフェを楽しんでいた。そう、ムスリム以外のサービスもしっかり提供されているので、安心して腹ごなしできた。
耳の記憶には「カタリ」とか「カタリー」って言葉がある。英語の中に僅か3音でも得体の知れないものが混じってくると気になる。その何年か後にネパールに行った時にも「ネパリー」って言葉が出てきた。ネパリーズ(Nepalese)って音は聞かなかったけど、要はネパリー(Nepali、)ってネパール人の意。そこでようやくカタール(Qatar)人の事を「カタリー」(Qatari)って表現するのだと気が付いた。
因みに、マグレブ3国はチュニジアン、アルジェリアン、モロッカンと呼ばれている。モロッコの末尾が「カ」に変音しているのがなんだか苦し紛れにように聞こえた。
砂漠好きとしてインランド・シー(アラビア海沿いの砂漠)にも行ったんだけど、時間が気になってしまいあまり覚えていない。なので、以下の記事にも単語しか出てこないのだ。
(2)中東諸国の一部がアラブ諸国
中東地域は広く、アラビア語を話すアラブ人はその一部になる。書きながらついその2つを混乱してしまう時がある。今回はカタール大会をキッカケに書き始めたので、中東やアラブ諸国にまつわる内容であり、若干のブレはご容赦願いたい。
今年、ある勉強会でこんな人口ピラミッドを紹介された。2005年のGCC湾岸諸国のものだが、明らかに男女比が片寄っている。それは海外労働者の大半が男で移民も自国民もひっくるめて人口動態を把握しているためのアンバランスなのだ。
尚、同じGCC諸国の中でもサウジアラビアが2017年にカタールに対して断交している。アルジャジーラTVで公平に振舞っているようでも、周囲にとってはそれがバイアスと受け取られてしまい疑われるのは厄介な事だ。
<GCCの人口ピラミッド、若者とインターネット普及率>
※いずれも2022年にコピーされたモノを入手したが、いずれも出典が明記されていなかったのでそのまま投稿する事をご容赦下さい。
※GCC: 湾岸協力会議。Guif Cooperation Councilの略。
あと、中東の歴史に疎いものの、戦後大きく5つくらいのフェーズがあるとか。
1950年代:汎アラブ主義(民族主義)
1960年代:アラブ社会主義(ソ連と接近)
1970年代:国家主義
1980年代:イスラム復興運動
2000年代:民主化・自由化
上の表では上手く読み取れないが、エジプト、シリア、チュニジアの人口ピラミッドだとユースバジル(若い世代で人口が一時的に増加)の特徴が共通しているとの事。1985~1990年生まれの若者が多く、それが2011年の「アラブの春」に繋がったのだと聞いた。
中東諸国とひとまとめに括る事も難しい。アラビア湾岸、シリア・ヨルダン界隈、その東のイランイラク、エジプト、マグレブ三国などに分類できるだろう。いくつかの国を歩いてみると、実感と一致するのがこのグラフだ。
グラフの左上にいけばいくほど西欧諸国と生活水準や街並みが似てくる。勿論、ドバイもドーハも郊外に出てみれば砂漠が広がっており、ユニークなビル群と街の賑わいが嘘のように思えてくる。あれは蜃気楼だったんじゃないか。
トルコはその次に位置している。イスラム色が強いけどカッパドキアにはフレスコ画が残っていたな。1950年代にNATOに加盟して、1987年にはEU加盟申請している。こうした宗教上も政治的にもアンビバレントな印象を受ける。国民平均で見ればトマトとキョフテで食生活も豊かだったので、この位置にあるのはやはり長期的なハイパーインフレの影響が残っているのか。
モロッコ、チュニジア、ヨルダン、エジプトが一塊になっているのも、イエメンがボトム層に沈んでいるのも旅の実感と相違ない。勿論ボトムだから貧しいのではなく、昔の生活と大きく乖離していないからこそ旅していて面白いのだ。
※中東にまつわる参考ブログ