土産物
・赤褐色のダチョウTシャツ
旅行サマリ
香港、ヨハネスブルグ経由 → ウイントフック → ナミブ砂漠 → スワコプムント → (空路でジンバブエ・ビクトリアの滝へ)
my Amebaブログ紹介
(未稿)
写真
あまりに古い事なので写真を見つけられない。(失礼)
唯一見つけられたのが2002年の年賀状に使った写真が一枚だけ。 これだとあの赤褐色のナミブ砂漠を上手く表現できていないので、 もっと素敵な写真をネットや本屋さんで探して下さい。
旅した時期
2001年9月。なんと、出発日は9.11_NY同時多発テロの翌々日だった。WTC爆破映像が繰り返しTVで流れていたタイミングで、社内でもお客さんからも盛んに「旅行は止めて仕事しよう」と言われてしまった。不味い。ちょっと週末に出掛ける所でもないしチャンスを逃したらまた1年先になる。でも、テロってそんな毎日続けて起きる可能性も低いでしょ、って事で予定通り出掛けた。
旅の目的
・目的はズバリ、赤褐色に焼けたナミブ砂漠だ。元々、砂漠が好きなんだけど本屋さんに平積みされていた本のカバーにその写真が載っていてそれに魅せられた。でも「地球の歩き方」にナミビアは2~4ページくらいしか載っていないし、とりあえず読めない「Lonely Planet」を買ってザックに詰め込んだ。
・後年、TBS「世界ウルルン滞在記」がナミビアのヒンバ族の村を訪問していたけど、あの当時は知らなかった。
旅の断片
・ウイントフック空港は黄色を大胆に使っていて、新しい空港だった。でも、市内へのアクセスはなくて乗合taxiで移動する。白人6~7名と東洋人は私だけ。で、彼らは宿をbookingしているのでそれぞれの宿で降ろしていく。最後に残された私に、driver氏がいろいろ勧誘してくる。「これこれの金額でx日間この車で回れるぞ。どうだ?」。driver氏のEnglish nameはRomance、漢字で「恋愛」と書かれていた。きっと、他にも日本人をcatchしてガイドをしたんじゃないか。その時に書かせた「推薦状」らしきものを見せられた。とにかく、アフリカはアジアと異なり客引きや勧誘は少ないけど、一人一人がとにかくしつこい。結局、このRomance氏と3日間くらい行動を共にした。
・Romance氏の車でセスリウム(ナミブ砂漠の入口の村)まで行く。最初は車で2泊と言われていたけど、流石に可哀そうと思ったのか、Romance氏のソーサスフレイのwife宅(Namibia各地にwifeがいると自慢していた)に泊めてもらう。
・日中は暑いので、朝とか夕方に車でソーサスフレイ(砂丘の端)まで送ってもらう。本当に赤褐色の砂漠、砂丘がどこまでも広がっている。写真でみた有名な「Dune45」も歩いた。立ち枯れた木もあった。この砂丘がずっと大西洋まで続いているかと思うと、ヒトなんて本当に小さなモノだ。砂丘の稜線も歩いて登る。少し片側に重心を寄せるとフワフワと足元の砂が崩れ落ちて、自分の体も心地よく傾いていく。砂丘の緩やかなカーブも、そしてあの感覚も砂漠の魅力だ。
・砂漠にはサラサラとした砂丘と岩砂漠の2種類がある。これまでに歩いたサラサラ系の砂漠では、ナミブ(ナミビア)、レンソイス(ブラジル)、ソコトラ島の裏(イエメン)、鳴沙山(敦煌)、シンガトカ(フィジー)、サハラ(モロッコ)が在るけど、フォトジェニックな砂漠はやっぱりここナミブ砂漠だ。
・セスリウムからスワコプムントへの長い道のりはずっと無人地帯。そこをRomance氏の車で走る。車窓からは窪んだ荒れ地に半円形の小山が浮かんだような他で観た事のない光景が続いた。
・スワコプムントからウイントフックへ寝台列車に乗るため、Romance氏とはここでお別れ。「discountするぞ。本当にいいのか」とシツコク念押しされたけどもういい。終わり。
・リッチなコース料理を食べて、豪華な寝台列車で眠る。明け方になって、ガイド1名とtourist_10名くらいが原野で途中下車した。セットになっていたGame-Safariでジープに乗るのだ。キリンとか野生生物をいろいろ見たのだが、具体的な動物名とか詳細はもう覚えていない。
・首都ウイントフックはこ綺麗な街。あまりにもcompactで田舎の街にしか見えず、とても首都とは思えない。ナミビアは世界で最も人口密度が低い国と言うけど将にそんな首都だ。イスラム教徒も多いようでモスクも見掛けた。黒人のRomance氏はクリスチャンで、NY同時テロ直後のnervousな時期だったので「ムスリムはcrazyだ」と言っていた。私は中近東にも何度か行っているので「誤解だよ」と言いたかったが宗教話は避けた方が無難。
(2019年9月記)