会社を辞めたのでようやく小笠原へ
旅行時期: 2018.9.下旬
宿泊: おがさわら丸で渡航して、父島に3泊
伊豆大島とか神津島、八丈島なら週末に気軽に行けたのだが、小笠原は船便の関係で一度出航したら竹芝に帰ってくるのはその6日後なのでサラリーマンには縁遠い所だった。ただ、辞めてしまえば気の向くままに訪れたいspotだ。
海の小笠原 ーイルカと南島ー
おがまる船内の臨時案内所で「宿を予約していないの。泊まれないと不味いから今すぐ電話して」と言われて慌てて電話を掛ける。外洋に出たら携帯電話は圏外になってしまうしギリギリ危ない所だった。
それにしても、24hの船旅は確かに長い。昼、夜、朝と3食を船内で摂った。台風のうねりで揺れる船内でシャワーも浴びたし、何度寝直しても未だ着かなかった。直前の便まで満席だったらしいが、丁度10月にさしかかる時期だったので船は比較的空いていた。しかも就航して2年位の新しい船だった。
翌日の11:00頃に小笠原諸島・父島に着船。午後は船でDolphine-swimと南島上陸ツアーに出掛けた。15人くらい乗ってほぼ満杯の小型船だった。イルカは2種類いるらしいが、台風のうねりのせいか、父島をほぼ一周したのに一緒に泳いでくれるイルカには出会えず仕舞い。でも、見るイルカは20頭くらい見つけた。5~6船集まっていたその周りで何度も跳ねてくれた。
南島の入江に入る所が狭くタイミングを見計らって、どうにか上陸できた。碧い海が眩しい。後で聞くと船長さん次第でこの日は上陸できなかった観光船もあったらしい。
宿は島の中心部にありダイブハウスと言った趣だった。Touristだけでなく、地質調査や工事関係などお仕事の方も泊まっていた。
<無人島になっている南島に上陸、イルカ発見!(2)、宿の晩飯では新鮮な刺身と肉料理が並んだ>
陸の小笠原 ー千尋岩(ハートロック)ー
翌日は、父島の南端にある千尋岩(ハートロック)ツアーに参加した。ガイドさんとメンバ7名。新入社員の女性、30代女性、若手男子、ほか4名は40~50代男性だった。
ガイドさんから「水2リットル必須」とアドバイスがあった。でも、いつも長野や山梨の山を3~7時間登るのにそんなに持っていかない。せいぜい500~1000mlくらいで、足りなければ沢水や雪解け水を現地調達するだけだ。でも暑くて湿気があってムシムシする南の島で標高0~300mの暑い所をトコトコ登っていくと、とにかく体力を消耗する。本当に2リットル飲み干してしまった。
ガシュマルの枝が広がっている。南国らしいと思ったのだが、小笠原nativeとはどうも違うらしい。どうやら外来種で強い植物が異常に繁殖してしまったものだとか。
ジャングルの中に朽ち果てた戦車か車の台車部分が錆びた状態でひっくり返っていた。台車の凹凸から僅かに「トヨタ」とか「ニッサン」と読み取れる。パラオとかでも戦跡ツアーはあるが、国内では初めてだった。まだ70年前の姿が残っているのだ。それだけの時を経てあるがまま朽ち果てていた。ジャングルの中には軍が張った電柱の跡や空襲に備えて天井のコンクリートだけがブ厚い小屋が残っていた。
戦争の爪痕が残っているのは大地だけではない。何度かヤギに出くわした。おとなしそうな白ヤギばかりではない。茶色とか黒色とか妙に逞しいのだ。それが断崖をスタスタ登っていく。放牧だとばかり思っていたのだが、ガイドさん曰く「戦前に放牧していたけど疎開する時に家畜はここに置いて出ていかざるを得なかったのでそれが野生化した」のだとか。
でも、これってこの島だけの問題ではない。福島原発の周辺だって人間は立入禁止になって馬や豚が自由に暮らすのが当たり前になったら、いつか同じことが起きてしまうだろう。勿論、動物たちにとっては野生に戻れるのは良い事だけど、こっちの都合で動物だから放射能を浴びても構わないって訳ではない。
あと、登山道で午前と午後で色が変化する花を見つけた。この花が帰路につく頃にはややオレンジ色を帯びて濃くなっていた。
<午前は黄色いのに、その3時間後には…… 野生のヤギ、ハートロックの上>
うねる小笠原 -台風直後にシーカヤック-
その翌日はカヤックした。ガイドさんと客が私ともう1名。本当は外洋に出て南島に自力で上陸したかったが、ガイドさんから「台風でうねりが強いので湾内にしましょう」と制される。それでもスカートでカヤックと一体化したclosed-typeで8kmくらい漕いだ。スマートなタイプの1人乗りだと方向がブレ易いものの、何に衝突する訳でもなく気ままに漕げるのは嬉しい。
扇浦から二見港まで往復した。途中の境浦には敵軍の攻撃を受けた座礁船が無残な姿を晒していた。太平洋戦争末期に外洋で傷んだ船がドックに着く直前で力尽きてそのままになったとか。10年くらい前には未だ甲板が水面上にあったか、今は水面下に沈んでいて僅かな残骸だけが見える状態だった。
本州は台風で大変な時期だったけど、小笠原の空は快晴でうねり3mの恐怖感は殆どなかった。ただ、kayakだけでなく海ごと全体で浮き上がっているためか、遥かに見える筈の海岸線が見えない事も多かったし、最初から2mくらい嵩上げされた状態で更に1mくらい上下に揺れていたのかも知れない。
だいたい私は体幹が弱い。幸いチンしないでgoalできた。ガイドさんから「体幹がいい。何かスポーツしていましたか?」と聞かれた。私に体幹とかインナーマッスルなんてものは無いのでこれにはとにかく嬉しかった。
※kayakに30回くらいは乗っているし、かつて2回ほどチン(沈没・転覆)した事がある。一度は四万十川より澄んでいる高知県・仁淀川、もう一回が沖縄・西表島のマングローブの入江を遡っている時だった。一度チンの練習をしていたので慌てず大丈夫だった!
<父島の海岸線沿いを北上、おがまるの近くでpaddling>
小笠原でメジロがのんびり寛いでいる
宿にはメジロが何羽も来ていた。おそらくウグイスじゃない筈。人に対して警戒感がないのか全然逃げないで、いつまでも実を突ついていた。ニュージーランドのQueenstownでもそうだったが、小さな島だと鳥はヒトをあんまり怖がらないしそこそこの距離まで近づいてきてくれるので、zoomで何枚でも撮れた。
<メジロ4景>
涙の出航日
出航日は半日しか時間がないのでジョンビーチまでtrekkingするのは断念して、途中のブタ海岸(昔ブタを放牧していたのが海岸名の由来)まで歩いた。と言っても海抜ゼロから200mの峠を越えたその先だ。岬の突端近くには「昭和16年_陸軍省」なんてコンクリートの道標があった。当時の兵士たちはこの蒸し暑い南の島でどれだけ苦労して野営していたのか。水分確保ひとつとっても大変だったろう。この島で実際の戦闘が無かったことだけが救いだ。
出航はドラマチックだった。一緒にkayakした女性が言っていたけど、成程あの風景を見たら確かにリピーターになってしまう! 北海道・礼文島の出航風景も何度味わってもセンチメンタルだ。旅情っていう奴か。ここ小笠原の出航光景はそれよりも明るい。是非とも現地で生で体験して欲しいので、ここでは審らかに書くのを控えておこう。
<陸軍省と彫られた碑がそのまま残っている、峠にて小港海岸を見降ろす、おが丸の右甲板から見送りの漁船を撮る>
【2022.5追記】NHK-BSの番組を見て知った事を補足。
・南島は石灰岩でできた島で、外周に囲まれて内湾のようになったビーチは扇池と呼ぶ。そこを見下ろせる東尾根を途中まで歩いたけど、時間の関係でてっぺんに立てなかった。
・あの当時ガシュマルと区別が付かなかったが、タコノキの根がむき出しになったまま崖地でどんどん下に伸びていた。宙ぶらりんの根はまだ伸びている途中で、岩や土にしっかり接地すると固定されるとの事。
・朝と夕で色が変わる花は、海岸に咲いていればオオハマボウ、内陸部であればテリハハマボウ。海岸に咲いている種類は砂が付かないように葉の裏側がザラザラしていて、内陸部のものはそんな必要がないので葉の属性が変化しているとの事。
・ハートロックで左側の崖地を観察すると、線状に丸い模様が付いているとか。海底でマグマが噴出してそのまま固まった時の跡で、それを枕状溶岩と言う。
・南島とブタ海岸のガイドとしてすだっちさんがTVに登場していた。懐かしい。この番組は2019年の再放送との事。
・ブタ海岸に降りる前、岬(頂き)に立つまでずっと尾根を歩いていける。そこの地名を中山峠と呼んでいた。
・NHK番組にはメグロが登場。本来は木から下りてこない鳥だけど、小笠原諸島では天敵がいないので、目に付きやすい場所に出てくるとか。メジロが民宿の庭先やコンクリートの上をいつまでもウロウロしていたのはそんな理由だったのか。