「どうする家康」だもんで
この記事はAmebaブログへの投稿後にサマリー版で文章をまとめておくものです。Amebaブログに公開した後で、順次こちらのページに反映します。容量の関係もあり<>で括った写真の引用は最低限のものに絞っており、かつ個別の旅記事のリンクも省略します。
5月当初の前書きと更新履歴
今年はNHK大河ドラマ「どうする家康」が放送される。それにちなんで家康関連の土地を月1回くらいのペースで弊Amebaブログに紹介している。誤りなく歴史の解説をするには不案内なので、そこはキーワードを挙げるくらいに留めるつもり。その土地(と言ってもヤマばかり)を回ったブログの紹介、まだブログをアップしていないスポットは簡単に触れるくらいに留めたい。
【更新履歴】
2023年4月: 浜松市中心部、静岡市、岡崎市を作成
2023年6月: 天竜市、天竜区北遠、新城市を追加
2023年9月: 天浜線、掛川市、湖西市を追加
2023年12月: 次項に述べる通り、2本の記事に再編成
<桜の時期に訪れた浜松城(2)>
当記事の方針変更
5月に「どうする家康」だもんでのタイトルにて記事をアップしました。その後、Amebaブログの投稿が当初想定よりもどんどん膨らんできたため、5月の初期投稿と今回の続編投稿の2本に分割する事としました。
大まかな区分けは以下の通りとなります。この記事は「遠江国」に限って記述する事にしました。
5月投稿: 遠江国(12章構成)
この続編: 三河国(4章構成)、その他(8章構成)
総合目次
(1)遠江国
【1】浜松市 中心部
【2】浜松市 天竜区
【3】浜松市 天竜区北遠
【4】浜松市 三ヶ日町
【5】浜松市 細江町
【6】浜松市 引佐町
【7】浜松市の郡部
【8】 湖西市
【9】 掛川市
【10】 おもいふかき遠江
【11】 天竜浜名湖鉄道
【12】 遠州鉄道
(2)三河国
【13】岡崎市
【14】新城市
【15】豊橋市
【16】その他の三河
(3)その他
【17】三遠広域
【18】 街道と脇往還
【19】 駿府(静岡市)
【20】 江戸(東京都)
【21】 駿河以東
【22】 尾張以西
【23】 家康評
【24】 おわりに
【1】浜松市中心部
政令指定都市の浜松市はとにかく広い。岐阜県高山市に次いで面積ランキング2位。今回はその中心部に限って紹介したい。井伊直虎&直政の引佐町や信康(信康さんキャラあり)の天竜区など何度も歩いているエリアは、また別の稿に回したい。
ヤマハや河合楽器など楽器メーカー、軽自動車スズキの本社がある。市西部には浜名湖が広がり、名産品はうなぎ、うなぎパイ、源氏パイ。
(1)家康との関わり
三河の徳川家康が若き日に遠江・浜松に入城。ここを拠点に勢力を拡大した事で結果として天下人になり戦国の世に終止符を打った、その基点とも言うべき土地である。江戸時代には水野忠邦ら歴代城主が何人も老中など幕閣に出世したため、浜松城は出世城と呼ばれるようになった。それにあやかって現在のJR浜松駅周辺にも「出世の街」なんてプレートがあちこちに見られる。
家康にとって痛恨だったのは唯一の負け戦と云われた三方ヶ原の戦い。三方原は浜松の郊外に位置するので「北区」の回で紹介する予定だが、市中心部にはその戦にまつわる犀ケ崖古戦場跡もあり、布橋の名前でも知られている。三方原と浜松城の間には小豆餅や銭取と言ったその戦にまつわる地名が残っている。
(2)写真紹介
<桜の時期に訪れた浜松城(+4)>
<浜松アピール広告(3)>
そう、テレビの曙はここ浜松にあったのだ。
(3)私がアップしたAmeba記事
・駅前のオイシイ和食・ふく亭
・行政区の再編
・瀬名の最期は佐鳴湖
・犀ケ崖
・浜松城と大河ドラマ館(プレオープン)
・オクトーバーフェスト
(4)まだ紹介できていないスポット
・中田島砂丘(日本三大砂丘の1つ)
・蜆塚遺跡
・舘山寺温泉
(5)これから行きたい所
・三方原
・舞阪の今切口
【2】浜松市天竜区
浜松市天竜区は旧天竜市を中心として、旧龍山村、佐久間町、水窪町、春野町も含めた巨大な面積と天竜美林を誇る。その中でも、今回は旧天竜市に絞って書いていく。
ホンダは今でこそ南青山に丸っこいビルを建てているが、創業者・本田宗一郎の出身地はここ天竜区光明であり二俣に「本田宗一郎ものづくり伝承館」がある。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
甲斐・武田との争いが繰り返されていた。その象徴の1つが二俣城や鳥羽山城だ。
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今川氏の滅亡以後、二俣城と鳥羽山城は徳川家康が領有していましたが、三方ヶ原の戦いがあった元亀3(1572)年、二俣城は武田信玄によって攻略されました。その後、長篠の戦いがあった天正3(1575)年まで徳川氏、武田氏が二俣城をめぐり激しい戦を続けますが、徳川方は鳥羽山城に本陣を置き、武田方にあった二俣城を攻め、奪回しました。
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※出典
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/miryoku/hakken/tanbo/201602.html
それともう1つ、家康の嫡男・信康が切腹したのが二俣城、その近くにあって信康を供養して改称したのが清瀧寺だ。5/7放送のNHK「どうする家康」のラストで信康役の俳優(名前を知らないがTBS「ドラゴン桜」に生徒役で出演)が二俣城址を訪ねている映像が流れていた。
(2)写真紹介
天竜川の東岸でちょうど鳥羽山トンネルを抜けた辺り、二俣市街の入口にお城を象った記念碑が立っている。鳥羽山城と二俣城の入口はちょうどこの左右になる。
<家康公没400年の記念碑(2)> ※2022.9
むらせやの転車台マドレーヌが装いも新たに信康さんマドレーヌとして売り出されていた。どちらも中身は同じで、ホワイトチョコが練り込んであって満足できる美味しさ。これも大河ドラマ効果か。
<のぶやすくんマドレーヌ、転車台マドレーヌ> ※再掲
<最近は5コ詰めの箱入り1200円のみ>
秋野不矩美術館は藤森照信氏の設計で建物がユニークで、木の上の茶室も不思議な造形。いずれ細かく紹介するつもり。
<秋野不矩美術館> ※2021.10
<昨年はエバンゲリオン、今年は家康と信康で賑わう二俣駅(2)>
(3)私がアップしたAmeba記事
・鳥羽山城址
・二俣線80周年
・光明山光明寺
・月集落
・2022年9月の台風で二俣川に被害
・二俣城址
・どうして!?信康駅
(4)まだ紹介できていないスポット
・秋野不矩美術館
・栄林寺
・筏問屋
・光明鉄道跡
(5)これから行きたい所
・光明山と光明山遺跡
・相津でカヤック
・鉄道建設予定地のトンネル・ワインセラー
【3】天竜区北遠
浜松市天竜区は旧天竜市を中心としてとにかく広い。前回は旧天竜市を紹介したので、今回はその北に連なる旧龍山村、佐久間町、水窪町、春野町エリアを紹介する。
この地域は天竜美林に覆われているが、過疎化しているのも事実。2023年の正月に中日新聞の1面トップで龍山村を5日間に亘って取り上げていた。過疎の姿は分かるとして、昔はこんなに栄えていたとか、明るくなれるような内容があればと思ったのもホント。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
NHK「どうする家康」でも阿部信玄が信濃と三河の国境まで家康の偵察にきていた。高根城址がある遠州・水窪町もそこからそう遠くない。信玄や勝頼との闘いを繰り返す中で、山住神社の古道に家康の腰掛岩がある。
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山住神社は徳川家康にもゆかりがあると言われ、山住古道にはかつて家康が旅の道中に座ったという腰掛岩が今も残されています。
まだ3月なのにヒルが出てきたのには驚きました。
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※出典
三方原の戦いの後で、家康がいろいろな方面に逃げた逸話はあれこれ残っている。でも、どうして水窪と家康が関係するのか理解できなくてモヤモヤしていた。いざ武田と徳川の戦いがあまりに長かったのを知ると納得。
1572年 三方原の戦い(高根と犬居を通過)
1573年 信玄没
1575年 長篠の戦い
1576年 犬居城を奪還
1579年 築山殿と嫡男信康の死
1581年 高天神城を奪還
1582年 信長没、勝頼没
こうして年表から抜き出してみると、ザックリ10年以上の長きに亘って武田と戦ってきた事になる。私が訪れた犬居城や高根城址のほかにも、大洞若子城などの山城が残っているとか。これだけ抗争を続けていれば、家康の足跡が北遠各地に残されているのは何らおかしくない。
犬居城に関しても武田と徳川で攻防戦が繰り広げられている。そちらは先日書いた犬居城址のブログを参照願う。
それともう1つ。歴史に「もし」はないのは分かっている。でも、歴史のコマが僅か3年でも違っいれば、もしかして瀬名と信康の命も助かったのではないかと思ってしまう。
(2)写真紹介
・秋葉橋(龍山村)
・秋葉神社(春野町)
・高根城址(水窪町)
・北遠に残る城址パンフレットの裏表紙(天竜区魅力ある区づくり事業実行委員会が発行)
(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は原則として①のリンクを付けた)
・秋葉山
・龍山村と秋葉ダム
・春野町の犬居城址
・水窪町の高根城址
(4)まだ紹介できていないスポット
・飯田線の車窓から窺う佐久間町
(5)これから行きたい所
・青崩峠
・山住神社と常光寺山
・西渡駅と竜頭山
(6)ご参考
北遠の盛衰についてやまやさんの以下Amebaブログが詳しく記述されている。6/3公開と丁度いいタイミングだったので引用させて頂きました。
<やまやさんの6/3付けAmebaブログ>
北遠地方の盛衰(国鉄北遠本線解説にあたり) | 超快速やまやのブログ (ameblo.jp)
【4】浜松市三ヶ日町
浜松市北区三ヶ日町は、三ヶ日みかんで全国的に有名。平成の大合併前にはここは引佐郡三ヶ日町だった。三ヶ日を経由して本坂峠から三河国に入り御油宿まで抜ける道が姫街道である。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
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徳川家康が三方原合戦で、三河に逃げのびる途中に、万福寺に立ち寄り一服の茶を所望。その際、万福寺住職が家康公に「当寺の観音さまは、よく願いを聞き届けてくださる霊験あらたかな観音さまであり、貴公が一心に戦勝を祈願するならば、必ず勝ち戦となり、立身出世すること必定であろう」と言うと、家康公は言われるままに戦勝を祈願し、立ち去る際、扇子に「わけのぼる 平山道は 細けれど、 未たのもしき 万福寺かな」と記し、「もし立身出世をしたこと知ったら、これを持ってたずねてきてください」と住職に言い、扇子を渡して中山峠を越え、三河へ入り、難をのがれた。
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※出典
http://enshu33.com/all-guide/%E5%BB%B6%E5%91%BD%E5%AF%BA/
この逸話は逃げる方向が違うんじゃないかと思うが、そのまま引用する。それに、中山峠って三遠の峠道の中でも現在ではもっとも藪に覆われている箇所なので、あそこは難儀する。
片や武田信玄が遠州から三河に入り野田城に攻め入ったのは三ヶ日の宇利峠からだと云われている。
(2)写真紹介
全国ブランド三ヶ日みかんは三ヶ日町の特産。トイレにもみかんをデザインしている。
<東都筑駅のトイレ> ※再掲
<みかちゃん> ※再掲
(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は①のリンクを付けた)
・三ヶ日~本坂峠~中山峠
・2022年冬の三ヶ日めぐりサマリ
・三ヶ日から比丘尼へ
・三ヶ日町の駅トイレ
・浜名湖を調べてみよう⑤、⑥
(4)まだ紹介できていないスポット
2022年冬の三ヶ日旅いろいろ(奥平山~宇利峠、宇利峠~瓶割峠、板築山、猪鼻湖と礫島など)
(5)これから行きたい所
・林道じゃなくて、ホントの県境尾根を伝って中山峠~宇利峠
【5】浜松市細江町
浜松市の北区区役所は細江町気賀にあるが、平成の大合併前、ここは引佐郡細江町だった。この細江の中心部が気賀であり、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」では気賀が出てきたのにビックリした。江戸時代には姫街道の気賀関所が設けられている。
また、平成天皇が若い頃に何度か訪れたプリンス岬があるのもここ細江町。私も三ヶ日から気賀まで浜名湖沿いを歩いた時に通っている。ちょっとその文章を引用する。
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平成天皇が9回も訪れたプリンス岬もこの付近らしい。この日はプリンス岬をスルーしてしまったが、五味半島と言う浜名湖に突き出たエリアがプリンス岬なんだと、後日NHKの番組で知った。確か「はじめての1人旅」って番組タイトルだった。空撮映像はとても美しい。
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※出典:弊ブログ「湖畔を辿って三ヶ日から気賀へ④(ようやく細江町)」
もっと時代を遡ると、細江町で銅鐸が5つ(他2つは三ヶ日ほか)出土している。私も尉ヶ峰の下山路で歴史民俗資料館を見つけて、銅鐸のレプリカを触った事がある。
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弥生時代に作られ、使われた青銅製の銅鐸は稲作の豊作祈願の祭りに使われた道具とも言われ、7つ出土しています。銅鐸が埋もれたままの状態で、金属探知機により見つかったのは全国でも初めてのことでした。浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館で見ることができます。
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※出典
銅鐸と水田のふるさと中川(浜松市北区) | ふじのくに美しく品格のある邑づくり(静岡県) (fujinokuni-mura.net)
https://www.fujinokuni-mura.net/doutaku-suiden-nakagawa/
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
浜松中心部にとって家康は城主だが、この地域にとっては侵略者としての跡が残っている。どちらもホントの姿なので公平に見ておこう。NHK「おんな城主 直虎」ではそうした負のシーンも描かれていた。
姫街道沿いにあるので、以前に三ヶ日から気賀まで歩いた時に写真を撮っているはず。残念ながら写真が見当たらないのでネット記事を引用するに留める。当時は史跡を意識する事もなかったが、天浜線・気賀駅の北側に獄門畷の碑が立っている。
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永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで、今川義元が戦死した後、徳川家康の遠州侵攻を防ごうと、気賀の人々は、領主今川氏のために堀川城を造り、最後まで戦った。堀川城址は、ここから南へ600メートル程にある。永禄12年(1569)3月27日、堀川城に2000人の
男女が立てこもり、3000人の家康軍に攻められて、落城したといわれている。大久保彦左衛門の記録に「男女共になで切りにし。」
とある。そしてその後に捕えられた約700人の人々も、同年9月9日にこの付近で首を打たれた。その首をこの小川に沿った土手にさらしたので「ごくもんなわて」と言われるようになった。
細江町教育委員会
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※出典
堀川城の戦いと獄門畷 | 大河ドラマを追いかけて (jugem.jp)
http:// http://shizuka2015.jugem.jp/?eid=799
有名な三方ヶ原の戦いは北区三方原で1572年に繰り広げられたもの。余談だが、三方原の住民はどうも北区に割り振られた事をずっと不本意に思っており、ロビー活動を続けていたようだ。その結果が2024年の区割り再編成に表れている。
(2)写真紹介
・気賀駅ホームに井伊家の家紋 ※再掲
・細江町のマンホールに銅鐸 ※再掲
(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は①のリンクを付けた)
・尉ケ峰
・姫街道の引佐峠から気賀まで
(4)まだ紹介できていないスポット
なし
(5)これから行きたい所
・気賀関所
・祝田の坂を下る
・三方ヶ原古戦場
【6】浜松市引佐町
旧引佐郡引佐町には、大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台となった井伊谷がある。
(1)家康との関わり
三河を平定した家康は陣座峠(新城市、旧鳳来町との県境)を東進して遠州地方に攻めてきた。それに関連したシーンは大河ドラマ「おんな城主 直虎」に描かれていた。あの時の家康(阿部サダオ)は残酷に描かれており、柴崎コウの辛そうな表情を覚えている。
家康の家臣団は三河から連れてきた三河武士が主流だが、家康が浜松城に入ってから井伊谷の井伊直政が家康に仕えて関ケ原の合戦で武功を上げている。
(2)写真紹介
・富幕山の直虎ちゃん ※再掲(何度も登っているので撮影年月は不明)
・立須 ※再掲
・NHK「おんな城主 直虎」の柴崎コウが2023年に引佐町久留米木で田植えに訪れたとか。これは直虎回顧展の効果かも。
(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は①のリンクを付けた)
・富幕山
・三岳山と立須
・竜ケ石山
・直虎回顧展と井伊谷城址
(4)まだ紹介できていないスポット
・陣座峠
(5)これから行きたい所
・天白磐座遺跡
・兎荷山
・竜ケ石洞
・伊平(ここで三方原の戦いの前哨戦があった)
【7】浜松市の郡部
浜松市は巨大なので何度かに分けて紹介してきた。今回は残りのエリアであり、信康でも直虎でもなく武田の影も薄い郡部と言える。
区名で言うと中区と北区と天竜区を除いたエリアになるが、今回紹介するのはザックリ東区+浜北区になる。ちなみに南区は中田島砂丘で一択。西区は来年になったら浜名湖花博が開かれるので賑わうかも。
ちょうど2024年から7区から3区に再編成される。でも、浜松の人口分布からして「区」の呼称はイマイチしっくり来ない。感覚的には「部」なのだ。中心部と郡部と山間部が相応しい。明らかに南北に長い区域は、この3色に区分けされる。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
・万斛(まんごく)
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万斛という地名がある。ここは、家康が万石、百万石に通ずると連想し、大変気に入り、愛妾「阿茶の局」を当地区の鈴木権右衛門の家に預けたという場所である。
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※出典
德川記念財団|TOKUGAWA MEMORIAL FOUNDATION - 表彰活動
http://www.tokugawa.ne.jp/hamamatsu/2013/04.htm
・御馬ヶ池(みまがいけ)
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家康は、二俣城攻めで武田軍の様子を見に来た。馬が汗をかき疲れていたので、於呂神社の畔の池で馬を洗い、汗を流し休ませた。それ以来、この池とこの辺り一帯の地名を、「御馬ヶ池」とい言うようになった。
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※出典:このpdf資料は「家康伝承」パンフレットと同じ元ネタと思われる
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/documents/100139/ieyasudenshou.pdf
(2)写真紹介
・馬込川にて ※再掲
(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は①のリンクを付けた)
・宮口駅からさぎの宮駅
・小林駅から宮口駅
・大菩薩坂と万斛庄屋公園を目指して挫折
(4)まだ紹介できていないスポット
・馬込川の河口付近と中田島砂丘
・馬込川を遡上
・舘山寺温泉とフラワーパーク
・フルーツパーク
・ガーデンパーク
(5)これから行きたい所
・舞阪の今切口
・欠下城址
・大菩薩坂と万斛庄屋公園
【8】湖西市
静岡県の西部にあり愛知県との繋がりが深い湖西市。滋賀県の琵琶湖西岸のJR湖西線(こせいせん)と異なり、ここは湖西(こさい)と読む。県境の街なので三河弁が入ってきている。「食べりん」(意訳:美味しいから食べてみて)、「飲みりん」(意訳:どうぞお飲み下さい)など語尾の「りん」がカワイイ。
平成の大合併で浜名湖を囲む一帯として浜松市から統合を持ち掛けられた湖西市は、その話に乗らなかった。観光面では「浜松・浜名湖」の呼称で足りているし、経済圏や方言では愛知県豊橋市と密接なので、その後の経過を見ると独立路線を歩んだのは正しかったと思う。
トヨタ自動車は愛知県西三河を地盤としているが、トヨタの始祖・豊田佐吉は湖西市の生まれでここ湖西市に「豊田佐吉記念館」がある。大知波峠から下山してくると「豊田佐吉記念館」の案内板を見るのだが、ヤマ帰りはいつも疲れているのでまだ入館した事がない。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
江戸時代、浜名湖の西岸に東海道・新居関所が設けられていた。勿論これは家康の命で作られている。この付近は今切口に近くてかなり風が強く、決して穏やかな場所とは言い難い。だからこそ、姫街道ではなくここを通って京と江戸を往復する事を課したのだろう。
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新居関所は今切関所とも呼ばれ、今切渡船場に隣接して慶長5年(1600)に設置されました。設置当初は、現在地の東方、浜名湖の今切口に近い場所にありましたが、元禄12年(1699)暴風雨のために移転、さらに宝永4年(1707)の地震津波によって翌5年に現在地に移転しました。
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※出典
https://www.city.kosai.shizuoka.jp/kanko_bunka_sports/kankospot/9675.html
浜名湖西岸にある宇津山城も家康の手に落ちている。ただ、家康は陣座峠から遠江に侵入しているので、これは酒井忠次が攻撃したのだろう。
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永禄11年(1568年)には徳川家康が遠江に侵攻し、同年12月宇津山城は落城、家康は松平家忠を宇津山城主とし、……
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※出典
https://www.hb.pei.jp/shiro/tohtoumi/utsuyama-jyo/
他にも三河国と遠州国の境界部に位置するため、家康にまつわる話を見つける事ができる。例えばコレ。調べると住所は湖西市太田895。実はこのすぐ近く、おそらく2~3本違いの小道へ子供の頃に何度か遊びに行っている。
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太田地区の「おこちゃ屋敷」は徳川家康の二男結城秀康の母親、お万の方がかくまわれていたとされる屋敷です。
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※出典
https://www.city.kosai.shizuoka.jp/soshikiichiran/kanko/yokuarushitsumon/4/1404.html
また、お万の方の安産祈願をした東雲寺(湖西市神座463)がある。次に神石山に登る時に寄ってみてもいい。
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徳川家康の側室であるお万の方が太田の庄屋の家に仮宿の際に、東雲寺に安産祈願のために日参されたといいます。このことから、安産の神として広く尊信を集めるようになりました。
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※出典
https://hamanako-kosai.jp/location/1244/
(2)写真紹介
<湖西連峰のあら環像>
(3)私がアップしたAmeba記事
・湖西連峰(神石山)
・湖西連峰(大知波峠)
・今切口
・うまいら(この万能みそ調味料の会社はJR新居町駅のそばにある)
・浜名湖を調べてみよう(今切口+浜名川+浜名の橋と「更級日記」)
(4)まだ紹介できていないスポット
なし
(5)これから行きたい所
・宇津山城址
・汐見坂
・豊田佐吉記念館
【9】掛川市
個人的に掛川と言えば茶畑が広がる風景に尽きる。大尾山に登る時に茶畑から登山道に入っていく手前でカモシカと出会えたのがなかなか嬉しかった。
掛川には東海道新幹線の駅がある。ただ、1964年の開通当初からあった駅ではなく、市民から30億円もの寄付金を集めて地元負担で誘致活動した請願駅が1980年代に営業を開始した。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
掛川の家康で有名なのは武田との高天神城をめぐる戦い。一度は武田方に奪われたものの1581年に取り戻している。また同時代には、山内一豊が掛川城主となっており、NHK大河ドラマ「功名が辻」の舞台となった街である。
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天正9年(1581) 徳川家康が高天神城を奪還
天正18年(1590) 山内一豊、掛川城に入城
1600年6月、家康が大坂城を発つと、一豊は掛川領内の小夜の中山にて昼食の接待をし、以後家康に従い同行する。
同年7月25日、小山(現在の栃木県)宿本営に軍議を開く。この席で一豊は、掛川六万石の城を開放し、兵糧その他行軍に必要な物のすべてを提供すると申し出る。大軍の移動には大量の物資が必要であり、この申し出は家康を大いに喜ばせた。
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※出典
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/kankobunka/geijyutsu/ieyasu/
(2)写真紹介
<高天神城址付近の茶畑>
<清水銀行掛川支店>
(3)私がアップしたAmeba記事
・粟ケ岳
・大尾山
・小夜の中山(+日坂宿)
・高天神城址
(4)まだ紹介できていないスポット
なし
(5)これから行きたい所
・八高山
【10】おもいふかき遠江
これまでに遠州地方をじっくり紹介してきた。巨大な浜松市(中心部/天竜区市部/天竜区北遠/三ヶ日町/細江町/引佐町/その他の郡部)、湖西市、掛川市などだ。
天浜線の駅で「おもいふかき遠江」と記された大河ドラマのポスターを見つけた。確かに遠州地方の街はまだまだある訳で、本日はまだ紹介できていない広域遠州の市町村に焦点を当ててみた。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
家康が遠江で初めて城を築こうとした地が磐田(見附)。磐田は律令制の頃、遠江国の国府があった場所である。今年のNHK「どうする家康」では信長に命令されて見附を却下されて、浜松を居城に決める様子が描かれていた。
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永禄12年(1569)、徳川家康は遠江の中心地であった見付に新しい城を築く工事を開始しました。しかし、東方の武田に対し、背後に急流の天竜川が流れる地理的な問題をはじめ、いくつかの理由により築造を断念し、引間(浜松市)に城を移すことにしたと言われています。家康が築城しかけた城之崎城は磐田原台地の南端に位置し、その場所は現在の城山球場付近です。
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※出典
磐田市観光協会 / 城之崎城跡 (kanko-iwata.jp)
https://kanko-iwata.jp/tanoshimu/tanoshimu-10306/
森町で、晩年まで家康を苦しめた真田氏の城を見つけた。武田の家臣として家康と争っていた時代の城だ。トコトコ歩いていたので偶々分かったもの。詳細は以下「遠州一宮・小國神社」を参照。
天方城にも徳川と武田の争いの歴史が残っている。詳細は個別ブログに書いたのでここでは割愛するが、犬居城を攻めた家康がここまで逃げてきたとか。ほかに可睡斎の和尚と家康の逸話も有名だ。
(2)写真紹介
<「おもいふかき遠江」ポスター>
<しっぺい太郎>
(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は①のリンクを付けた)
・エコパスタジアムでラグビーW杯(袋井市)
・遠州一宮・小國神社(森町)
・天浜線・敷地駅~遠州小林駅(磐田市)
・天方城址(森町)
(4)まだ紹介できていないスポット
可睡斎や法多山を訪れたのは遠い昔なので写真は残っていない。
(5)これから行きたい所
・戦国夢街道
・小笠山
・社山城
・一言坂の戦跡と城之崎城址
・ヤマハスタジアム
【11】天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)
このシリーズは市町村ごとに書いていくものだが、この項は例外として電車ネタ。天竜浜名湖鉄道で「どうする家康」号を見つけたので、その写真を紹介したい。
いつも紹介している天竜浜名湖鉄道は、旧国鉄二俣線で現在の略称は天浜線。掛川駅から浜名湖の北岸を回って湖西市の新所原駅まで結んでいる。
<「どうする家康」号の側面(2)>
車両フロントにニョロッと伸びるうなぎは微妙だけど、総じてさわやかな色合いでいい感じ。
<前面、後面とも湖北高校の生徒が描いたプレート>
徳川四天王をアニメで書くのはどうも苦手。これって岡崎城にあった四天王パフェより違和感が強い。
<「どうする家康」号の車内広告>
ここまでの5枚は2月に富幕山に登った日に金指駅で撮影したもの。ラスト1枚は5月に天方城址に行った帰りに遠州森駅で撮影。
<2023.5遠州森駅にて>
最近見つけた面白いモノをもう1つ紹介。この路線図が車内に貼られていた。北が上で南が下なのは至って普通の地図。でも、東西を反転させているので一瞬違和感を覚えるのだ。浜名湖の海岸線も丁寧に左右逆に描かれている。なかなか新鮮でいい。遠州地方のこの沿線にはどこにも家康の足跡が残っているのだ。
<不思議な路線図>
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天浜線の写真はいろいろ撮っているけど、長坂養蜂場のミツバチをラッピングした車両が一番インパクトある。
【12】遠州鉄道
遠州鉄道でもブルーの家康号を見つけたので、その写真を紹介したい。
遠州鉄道はJR浜松駅の傍の新浜松駅から西鹿島駅まで南北に結ぶ路線だ。天浜線が昭和気分でのんびり観光できる線路なのに対して、こちらは主に通勤通学用の利用者が多いようだ。
<家康号の外装(3)>
家康号は水色の車体に浜松市のキャラ「家康くん」と三葉葵の家紋がペイントされている。「家康くん」は楽器にみかんにうなぎと地元産品をてんこ盛りにしているのでゆるキャラとしてのセンスは微妙なんだけどな。
大御所をデザインしたゆるキャラ「家康くん」ってホントに相応しいものだったのかって、毎週毎週、大河ドラマで若々しい家康を見るにつけ疑問に思ってしまう。征夷大将軍だって大御所だって、かつては若かった。その勢いが伝わる方が良かったかも知れない。
ちなみに遠州鉄道のチャージは気前が良かった。SUICAやPASMOに1000円入金しても1000円しかチャージされない。これは東京に住んでいると当たり前の事。でも遠州鉄道のICカードならしっかり1100円分チャージされていた。かつて回数券で1枚追加交付されていた、テレホンカードが105度あるのと同じ感覚なのだ。
ここで過去形にしたのはコロナ禍で全国の公共交通機関で経営悪化が懸念されたけど、それと同様の事情なのか現在では1000円分に変更されているため。こうなると、SUICA、PASMOと相互利用できないのが気になってくる。
<こちらは紫色の内装>
電車の内装は部分的にゴージャスに見える。このほかにも、バスやタクシーでも「家康くん」キャラで大河ドラマを後押ししているらしい。金色タクシーは1台だけと言うからかなりレアな存在だ。
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ラッピングのデザインは、水色をベースに徳川家の家紋や「徳川家康公ゆかりの地浜松」の文字、市マスコットキャラクター「出世大名家康くん」を描いた。話題づくりとして、タクシー1台はベース色を変えて「金色バージョン」にした。
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※出典
家康ゆかりの地 浜松をPR 遠州鉄道 バス・タクシーを装飾|あなたの静岡新聞 (at-s.com)
https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1133512.html
話は変わって、こちらは2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の頃に作ったであろう赤いペイントの直虎列車。今も現役で運転している。こちらでは寅のシッポが付いた直虎ちゃんと家康くんが並んでおり、デザイン的なセンスはこっちの方がいいかも。
<井伊直虎号の床面、外装(2)>
遠州鉄道は今年で80周年になる。
<80周年ラッピング車両>
ちなみに天浜線(国鉄二俣線)は1940年に全線開業しているので83年目。